第11章




 16度目のバースディ。
 去年は純白のドレスだったが、今年は薄紅色のドレスを作ったリシェラである。
 ドレスを纏ったリシェラは、化粧師に軽くメイクを施されながら、
 どこか憂鬱な気分だった。
 あの男、ザイスのせいだ。
 ザイスはリシェラに、纏わりついてくるだけでなく
 ディアンにまでちょっかいをふっかけてくるようになった。
 ディアンもザイスに対して強く出れないようだ。当たり前といえば当たり前だが。
 従者といえど、<王女>に仕えているんだから、自信を持ちなさいよ。
 リシェラの心中の思いをディアンは感じ取ってはくれない。
 本音を言えばびしっと追い払って欲しいのだ。
「もう、ディアンのへたれ馬鹿」
「リ、リシェラさま!? 」
「……何でもないから気にしないで」
 曖昧に笑うリシェラに化粧師は微笑み返す。
 ぱたぱたとおしろいを叩き、紅筆で唇が色づいていく。
 髪には細身のリボンが髪に飾られた。 
 大人になったら変わるだろうと母も言っていた髪の色は、
 相変わらず赤茶色のまま。寧ろ前より色が濃くなったかもしれない。
 夕焼けの色だと、ディアンが評してくれたことが、
 自分の髪を好きと言えるきっかけ。
 思い出すと心の中がふんわり温かい気持ちになる。
 くすぐったくて、戸惑う。
「ふふふっ」
 思い出し笑いなんて、本当にあるのね。
 ぼんやり心の中で呟いた。
「誕生日がよほど嬉しいんですね」
 訳を知るはずもない化粧師のメイは、単純に考える。
「そうね」
「走り出さないで下さいね? 転んだらはしたないですよ」
 リシェラはまあと口を押さえて、
「心配しなくても大丈夫よ」
 立ち上がった。
 ドレスの裾を押さえながら、早足で歩いた。
 衣擦れの音を敷布が吸い取っていった。



 早くリシェラの元へ行きたいのに、ディアンは不本意な足止めを食らっていた。
 リシェラの自称婚約者ザイスである。
 ザイスは、城内を歩いていたディアンの行く手にたちはだがっている。
 嫌味な笑顔を浮べて。
「……あの、失礼ですが、邪魔なので退いて頂けませんか」
 はっきりとした物言いだが、態度には出ていないディアンだった。
「丁寧なのか非礼なのかどっちなのかはっきりして欲しいよ」
 リシェラの側をうろつく不逞の輩ザイス。
 ディアンはリシェラが拒絶していることで、彼にとっても敵と判断した。
 うっとおしいくらい寄ってくるが、花を贈る以外は、無駄なアピールも
 していないので今のところは大丈夫だとディアンは判断していた。
 自分が側にいる限り、リシェラの身の安全は守るつもりでいるし。
 さらりとザイスを無視して話を変える。
「従者は主の側にいなければなりません」
「それは正論だ」
 楽しそうに腕を組んで行く手を阻むザイスは一体何がしたいのだろう。
 ディアンが溜息をつく素振りを見せると
「じゃあ一緒に行こうか」
 ザイスは、先を歩き始めた。
 ついてこいと促しているようだ。
 はいはいと、心中返事をしてディアンはついていく。
 大股で歩幅を広げてザイスは突き進む。
 ディアンも彼と同じくらい長身なので、同じように歩けばすぐに追いつける。
 ある意味奇妙な構図だった。
「なあ、ディアン」
「何ですか? 」
 ザイスはふいに立ち止まった。問うてくる声音は至極真剣だ。
 ある程度距離を空けていて良かったとディアンは思う。
「リシェラ様のことが好きか? 」
 深く考えることもないだろうと思ったディアンは、
「ええ」
真っ直ぐな眼差しで即答した。 「そんなにあっさり答えていいのか」
「嫌いな人の元に仕えるほど酔狂ではありませんから」
「はぐらかすつもりか? 」
「別に。聞かれたから答えただけですよ」
「案外食えない男だな」
「お褒め頂きありがとうございます」
 リシェラに対する時とはあからさまに口調や態度を変えている。 
 軽く見られているのだろう。
 ディアンは苦笑した。
 果たしてどちらが本物の彼なのか。
 だが、あの不気味な丁寧さよりも今の彼の方がらしい気がした。
「俺の思い込みだったかな。それならいいんだが」
「どちらにしても、君とリシェラ王女とでは吊り合わないよ。
 下手に行過ぎた感情に走らない方がいいね」
「それは忠告ですか」
「まあね」
「感謝しますと言っておきましょうか」
 また歩き始める。
 リシェラに対して忠誠心以上の感情なんてあるわけがない。
 一介の臣下に過ぎない自分が、王女に対して
 恋慕を抱いてもどうしようもないだろう。
 気持ちに蓋をして閉じ込めておけばこれ以上、心は加速しない。
   ザイスがリシェラの前に現われてから心がざわついてばかりだ。
 彼の言動は、ディアンの心に波紋を広げ続ける。
 廊下の角から、小柄な影が見えてくる。
 ふんわりと揺れる髪には、リボン。
 こちらを見つけて、ぱっと顔を輝かせた。
 と思ったのは自惚れだろうか。
 ディアンは、リシェラの姿に目を奪われていた。
 そしてまた彼の前を歩くザイスも。
「ディアン」
「お誕生日おめでとうございます。とてもお似合いですよ」
 綺麗で可愛らしい。一年前よりずっと華やかさが増している。
 ディアンが戦に行っていた間に、リシェラは驚くほど変った。
 いや、日に日に変っている。
「ありがとう」
 リシェラは、ザイスのことが視界に入っているだろうに、
 完全無視を決め込んでいる。だがそこで引き下がるザイスではない。
 隙をついてリシェラの側に寄り、
「本当に美しい。これからあなたは花を咲かせて一層綺麗になるのでしょうね。
 それが私の手によるものならどれだけ嬉しいか」
「……妄想もここまで来ればいっそ表彰ものね」
 リシェラは心底あきれ返っていた。
 折角の誕生日が、台無しだわと、心中では思っていたりした。
「つれないな。そんなあなたも魅力的だけれど」
 リシェラの髪に触れようとしたザイスの手をディアンが掴んでいた。
 リシェラが手を振り上げる寸前だった。
「騎士気取りか、ディアン」
「気取りではなく騎士ですから」
 リシェラだけの騎士。
「今すぐ目の前から消えて」
 リシェラはザイスを睨みつけた。
「怒った顔も素敵だが、笑った顔も見たかったです」
 名残惜しいとばかりにザイスは、殊更ゆっくりと歩を進めていく。
 くるりと振り返ると、
「お誕生日おめでとうございます」
 口元を緩く吊り上げて笑って、背中を向けた。
「……あの人、訳が分からないわ」
「ああいう風にしか振舞えないんでしょう」
「お父様に追い払ってもらわなきゃ……絶対」
「そうですねえ、王様に何とかしていただくしかないかもしれません」
「言葉に感情が入ってないわよ」
リシェラの鋭い指摘にディアンはバツが悪そうな顔をした。
「実は、案外面白かったりするんですよね、ザイスさまって。
 どんなに素っ気無くされても諦めないじゃないですか、結構一途なのかも」
「冗談言わないで! ディアンって悪趣味ね」
 感情を露わにするリシェラをディアンは笑う。
 人徳か、怒っても怖くはない。可愛らしいのだ。
 それとも、リシェラをそういう目で見ているからか。
「行きましょう、パーティーが始まりますよ」
 リシェラは大きな瞳で瞬きすると、
 ディアンが手のひらを差し出す前に、彼の手を掴んで歩き出す。
 勢いに飲まれずに、ついていけるようになったのは慣れたからだ。
 パーティー会場には、数人程度しかいない。
 リシェラが内輪でささやかに祝われることを望んだため今回は、
 今年のパーティーは、王家の関係者・親族のみだ。
 メリル伯爵夫妻は、リシェラたっての希望ではじめて孫の誕生祝いに招かれた。
 今までも王が城に招こうとしたが、遠慮もあって未だ訪れたことはなかったのだ。
 結婚式以来、初めてセラは父であるメリル伯爵と再会した。
 王は、自分がいたらやりづらいことは重々承知していたので、
 4人家族水入らずの時を過ごさせた。
 城での対面は緊張もあってか伯爵夫妻は当初ぎこちない様子だったが、
 やはり血の繋がった親と孫。次第に打ち解けて話も和やかにしているように見受けられた。
 ふとドア付近に佇んでいるディアンが目に止まった。
「ディアン」
「はい」
 声をかけると静かにディアンが、やってきて跪く。
「必要ない。頭を上げなさい」
 ギウスが穏やかに笑む様子にディアンはすっと立ち上がる。
「隣りへ」
 自分の隣りの椅子を勧められていることにディアンは一瞬躊躇う仕草を見せたが、
 こくりと頷きパーティーテーブルの隣りに座した。
 ディアンは恐れ多いと思っているのか、固まっている。
「緊張しなくてもいい……それも無理があるか。
 とりあえず楽にしていい。必要以上に気を使わなくて大丈夫だ」
 そういわれてもと言いたいのをぐっと堪えるディアンである。
 ギウスは静かに語りだした。
「リシェラは、将来王位を継ぐ身だ。知っている通り私とセラの間にはリシェラの他には
 王女も王子もいない。婿を取るとしても彼女が、王位継承第一位
 であることには間違いない。王位を継ぐこと=結婚ということだ。
 年齢的に今は大して気にしなくてもいいことかもしれない。
 私も未だ引退するつもりもないし、まだ彼女も王位を継ぐ器ではない。
 将来の為にももっと広く世界を知る必要があると思うのだ。
 私もリシェラと同じ年の頃には城を離れ市井で学んだ」
 ギウスは一旦言葉を切るとディアンを見つめた。
「リシェラの従者であり、騎士であることに誇りを持ち、
 その生き方に偽りはないと誓うか? 」
「誓います」
「リシェラを貴族の子息が通う学校で学ばせようと思う。
 城で教師に学んではいるが、それだけでは駄目なのだ。
 人と触れ合い色々なことを知らなければ。
 人から聞くのと自分の目で確かめるのとでは大きな差がある。
 だが、豊かになったとて未だ治安が万全とは言い難い。
 王国の兵士も街の警備に当たってはいるが、王女一人のことを
 気にしてはいられないのだ。気を使わせて街の安全を守れなくなっては困るしな。
 かといって、一人では心配だ。今までは城の中で守れていたが、
 外では何が起こるかわからない。第一王位継承者は一人しかいないのだから。
 そこで、ディアンに騎士として守って欲しいのだ。
 同じ場所で共に学びながら」
「……守るだけでなく、私も共に同じ場所で学ぶことを? 」
「ディアンの頭脳が優秀なのは知っている。自分でも自覚しているだろう?
 あの日、募集をかけた時の条件はリシェラと同年代の優れた英知を兼ね備えた少年少女  だったのだから。
リシェラは預かり知らぬことだが。君を選んだ瞳は確かだったようだ。
 今や王女仕えでいさせるのが勿体無いくらいの人材に成長している。
 おっとこれは他言しないでくれよ。学費のことは気にしなくていい。
 身分についてはつてがある。
 トリコロール伯爵には、子息がない。
 ご養子を迎えられていたが、病で失くされてそれ以来一人で過ごしている。
 彼の養子ということで、伯爵に快諾を頂いた。
 学年は、リシェラより2つ年長で辛いかもしれないが
 同じクラスに編入する形になる。時期的にもまだ5月で入りやすい。
 もし学校に通うのが嫌なら行き帰り共にしてくれるだけでいい」
 どうだろうかと王は微笑む。
 願ってもない有り難い申し出だった。
 元々勉強は嫌いではないし、何よりリシェラと共に学べる。
 いつも側を離れたくないと願う大切な少女と。
 こくんとディアンは頷いた。
「断る理由がありません。勿体無いほどです」
「リシェラも君も同年代の友人と接することができるのは新鮮だと思う。
 学校にいる間は見守ってくれていればいい」
「リシェラ様には、既にその話を」
「いや、ディアンに話した後でいいと思ってな」
「そういうことですか」
 リシェラを釣る餌なのだ。
「君が一緒なら、嫌がるはずもなかろう」
「……はは」
 つまりは普通に話してもリシェラは、行きたがらないとギウス王は考えたのだ。
 ディアンも一緒にならと言うに違いないから。
 家庭教師にも、ディアンと一緒だったら勉強もはかどるのにとリシェラが常々ぼやいていると聞いていたのだ。
 ならいい機会だ。将来の為にも共に学ばせるのもよかろうと。
 ディアンのことは買っていたし、人柄も好ましく思っていた。
 王が満足そうな顔でディアンを見やると彼は、小さく頭を下げた。
「追い払いたくても払えない男から遠ざかる絶好の機会でもあるしな」
「リシェラ様、半端じゃなく毛嫌いされてます」
「ククク、あの男も不器用だな」
 ギウス王は些か性質の悪い笑みを浮べた。
「楽しそうですね」
「とことん嫌われたら目が覚めるだろうよ。私もリシェラの婚約には
 乗り気ではなかったのだ。追い返そうにも追い返せんし」
 事情があるのだろう。深く突っ込むべきではないとディアンは判断した。
「それでは」
 小さく頭を下げるとディアンは席を立った。
 メリル伯爵夫妻が王に挨拶するため姿を見せた。
 リシェラとセラ王妃も側にいる。
 邪魔にならないように移動していると、リシェラもついてきた。
「ディアンー」
「お父様と何をお話してたの? 」
「後で直接お聞きになってください」
 ディアンがにっこり笑うとリシェラはきょとんと首を傾げる仕草を見せた。
「分かったわ」
「伯爵夫妻とはゆっくり話せましたか? 」
「ええ。お祖父さまもお祖母さまともいっぱい話したわ。
 お母様も嬉しそうにしてらしたし、いい誕生日になったと思うの」
「よかったですね」
「賑やかじゃなくても家族だけでささやかにお祝いするのも温かくて良いな」
 リシェラは派手なことを好まない。
 賑やかな集まりよりも家族の絆を大切にしたがる。
 大勢の中で、王女として振舞うことが疲れるのもあるのだろう。
 王女としてはあまり誉められたものではないがディアンは庶民的な面を持つ
 リシェラだからこそ親しみを覚えていた。
「リシェラ様にプレゼントがあるんですよ、去年頂いた物のように立派ではないんですけど」 
「ううん!嬉しいわ」
「お部屋でお渡ししますね」
「あ、ちょっと待ってて」
 リシェラは小走りで両親と祖父母の元へと急ぐ。
 高いヒールで躓きかけたのを見てディアンははらはらしてしまう。
 はにかむリシェラに場が和んでいるようだ。
 危なっかしくて目が離せない。
ディアンは、戻ってきたリシェラに思わず笑みが込み上げた。 
「何、意味深よ!? 」
「リシェラ様は、お可愛らしいなと」
「含みがありそう」
 リシェラがじいっとディアンの顔を覗きこむ。
 この仕草にとてつもなく弱いディアンだったりする。
「まったく、あなたって方は」
 塞き止めていた感情が溢れ出しそうになる。
 制御できなくなった時、自分はどうするのだろう。
 リシェラの瞳が揺れている。頬が朱に染まっていた。
 ディアンは無意識でリシェラに柔らかな眼差しを注いでいたことに気づいていなかった。
 ただリシェラの表情の変化に魅せられ戸惑うだけ。
「行きましょ」
 リシェラは手を差し出してこない。
 ディアンはそっとリシェラの手に自分のそれを重ねると歩き出した。
 二人の後姿を目にした王夫妻と伯爵夫妻は驚きつつも微笑ましく思っていた。
 王夫妻はともかく、伯爵夫妻には、どのように映っているのだろう。
 やましい所がないから堂々と手を繋いだりできるのだ。
 多分、二人も分かっていてアピールしている。
「ディアンはいい子です。安心してリシェラの側に置ける」
 セラの言葉に伯爵夫妻は幾分ほっとしたようだった。
 孫でも、やはり相手は王女であり自分たちとは世界を別にしている。
 いくら気になっても口出しすべき問題ではないのだ。
 娘の言葉を信じるしかない。
 伯爵夫妻は年月を経て立派な王妃となったセラの姿を誇りに感じていた。  
 暫く歓談した後、セラの両親でありリシェラの祖父母である夫妻は、
 この機会を設けてくれた王と王妃に感謝の意を込め一礼をすると、やがて城を後にした。


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