白き桜に眠る日 第5話


何処か見知らぬ公園で、私と優は小さな子供を連れて歩いていた。
楽しそうに笑いあい、静かに流れる時の中に佇む3人。
朱色の夕陽に影が映えている。
優と私と子供、3人は手を繋いでいる。
その光景はどう見ても親子だ。
来る事の無い未来の風景は、柔らかで優しい。

「ママ」
小さな子供が幻の私を呼ぶ。
その言葉に幻の私は微笑み子供の頭を撫でていた。
届く事の無い現実。
私は何時頃からか、こんな未来を描いていたのだろうか。
『ずっと一緒にいようね』
彼が言ってくれた言葉。
あの言葉を聞いたとき、嬉しくてどれだけ胸が満たされたか分からない。
結婚の約束でも何でもなく不意に零れた何気ない言葉だったけれど、
私にとってあの言葉は最上の言葉で。
彼と同じ未来を歩いていけたら、それだけを願っていた。
夢の世界は幸せに満ちていた。
これは本当に夢なの?
夢なのにどうして私は意識があるのだろう。
向こう岸から3人を見つめているなんて奇妙だった。
手を伸ばす。
掴めないのが分かっていたけれど、手を伸ばした。
あの3人のいる方へと。
走る。
足が宙に浮いているような感覚がした。
「優ーーー!」
彼の名前を呼ぶ。
私は触れまいか触れるかの距離まで近付いたけれど……。
霧のように3人は掻き消えてしまった。
「ま、待って。私も一緒に連れて行って」
気付けばそう叫んでいる自分がいた。
段々と夢の景色が霞んでいく。
意識が覚醒していく。

「いやああっーーーっ」
私は泣き叫び目を覚ました。
瞳には大粒の涙が溜まっている。
「優……ねえ優!」
私は取り乱した。
彼を揺り起こそうとした。
「……伊織?」
微かな声が返ってきた。
今にも消えて無くなりそうな小さな小さな声。
私は力を込めて彼を抱き締めた。
「もしかして伊織も同じ夢見た?」
「夢の中で、伊織と僕と小さな子供が手を繋いで歩いてた。
3人を見て泣きそうになったよ。もう叶えてあげられない夢だから。
来る事のない未来を夢の中だけでも味わえて幸せだったよ」
嬉しそうに微笑む彼。
けれど口調は苦味を帯びていた。
「二人で同じ夢を見たなんて、不思議ね」
こんな偶然があるなんて思わなかった。
同じ内容の夢を同じ時に見るなんて。
そして、現実を直視した彼の言葉に、目頭がじんとなる。
「優……そんなこと言わないで。お願い」
涙がぽろぽろと零れだす。
泣いちゃ駄目。
私が泣くほど彼も辛くなるのに。
そう自分に言い聞かせようととしても涙は後から後から溢れてくる。

「泣かないで伊織……ごめんね」
彼はそれ以上何も言わなかった。
その代わりというように、そっと抱き締めてくれた。
本当に優しい人。
残酷すぎるくらいに優しいあなた。
「伊織……世界中で君だけを愛してるよ」
「夢の中でだけ……でも君と家族……にな……れて良かった」
彼は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「……うっ……く……」
嗚咽が止まらない。
あと僅かで別離。
苦しそうに息をする姿から分かってしまった。
否、気付かされた。
まだ一緒にいられると思ったのに。
「嫌……! 私を置いて行かないで」
泣きながら優の体にしがみつく。
「伊織泣かないで。僕がいなくなっても笑っていて欲しい。
笑っている君が一番好きだから」
彼の瞳から涙がぽつりと落ちる。
彼は自分の涙も拭わずに、そのやつれた指先で私の涙を拭う。
こみ上げてくる嗚咽(おえつ)を堪え、小さく笑った。
笑顔で見送りたい。
それなのに、泣き笑いの顔になってしまってる。
「今までありがとう。こんな僕の側にずっといてくれて」
掠れていたけれど、彼なりの精一杯はしっかりと私の届いた。
冷えた唇が、ゆっくりと重なり胸が疼(うず)く。
ぞくりと震えながら彼の背中に腕を回す。
切ないよ。
私の涙を拭ったその手で、今度は髪を撫でてくれた。
変わらない温かな仕草。
こんな時でも彼は、彼のままで。
私は嬉しいけれど切なかった。

こんなに弱るまで無理をさせてしまった。
そろそろ彼を休ませてあげなければいけない。
「優…疲れたでしょ」
「う……ん」
激しく喘ぐ彼の様子に堪らなくなった私は、とうとう言ってしまった。
彼にこれ以上生を紡げなんて残酷すぎる。
終わりにする覚悟は出来ていた。
彼がくれた言葉が、勇気をくれた。
一人残る私よりも、独りで旅立つ彼の方がよっぽど悲しく辛いのだ。
だから言わなければならない。
私は彼の頭を自分の膝に乗せた。
「伊織……愛してる」
綺麗な顔で微笑んで、彼はやがてゆっくりと瞳を閉じた。
安心しきった表情。
「愛しているわ……お休みなさい、優」
彼に微笑んでそう言うと、彼は小さく頷いた。

命の時間を止めた体をかき抱いて泣きじゃくった。
温かな温もりが冷えていき、私に現実を思い知らせた。
涙は枯れない泉のように溢れ出す。
塞き止めることの出来ない慟哭がこの身を襲う。
私は泣き続けた。


瞳を閉じると脳裏に浮かぶのは、優しいあの人の姿。
一緒に歩いて行きたいと心の底からの願いは遂に叶うことは無かったね。
あの日、優は笑顔のまま旅に出た。
最後まで笑顔を絶やさずに私に別れを告げて、消えて行ったあなた。
その名前の通りに優しくて強い貴方に私はいつも励まされていた。
無邪気な所が子供みたいで、私を包み込む優しさは果てしなくて。
私はあなたに感謝しているわ。
本当にありがとう。

あなたの眠る場所に想いを預けて、歩きだす。

涙なんて必要ない。
強くならなきゃ。

あなたのように強く懸命に生きていきたい。
決してあなたの為ではなく自分の為に。

消えることないものが、胸の中にあるから
きっと生きていける。

あなたと一緒に過ごした季節は、色を無くすことは無いのだろう。


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