SHINE
今日は、親友と食堂で食べる約束をしていた。
注文した料理が載ったトレイを手に、窓際の席へ歩いていく。
笑顔で手を振っている相手に、手を振り返す。
同期入社の彼女は、いつの間にやら仲良くなっていた。
安価で美味しいものが食べられるのでたまに利用する。
「遅かったわね」
「ちょっと部長に転居の届けを出しに行ってて」
陽香は、飲んでいたお茶を勢いよく吹き出した。
「どうしたの!? 」
今朝は青の前で同じような失敗をしたが、
まさかいつも落ち着いている
彼女がそんなことをするとは。
ナプキンを手渡すと陽香はさっとテーブルを拭いた。
「わざわざ自分から餌食になりにいくなんて」
「え、餌食って」
「部長は沙矢を狙ってるって専らのうわさよ。その様子じゃ気づいてないみたいね」
「だってあまり顔合わせることないもの」
きょとんとしていると額を人差し指と親指で弾かれた。
「つっ……」
「ったく相変わらずね。もう少し気をつけたほうがいいわよ。
彼と上手く行ったんでしょう」
こくんと頷く。たまに彼女に話を聞いてもらっていた。
青とのせつな過ぎる日々を、一人で乗り切るのは辛かったから。
「頬ピンクじゃない。もしかして一緒に住むことにでもなった? 」
「そうなの。それで、部長に突っ込まれたというか」
「プライバシーのへったくれもないわよね。そんなの個人の自由なのに。
相当お気に入りなんだわ。本当に気をつけなきゃだめよ」
何度も釘を刺され、こくこくと頷く。
ずるずるとうどんをかきこむ側で彼女は、うっすら微笑んでいた。
彼女のほうはとっくに食べ終えていた。
ブラインドを下ろされ、外から見えない状態でソファへと導かれたことまでは
とても口にできなかった。あんたが悪いと言われるのがオチだ。
「ちょっと言い過ぎたわ。ごめんね」
「ううん、ありがとう」
「彼の写真見せてよ」
うきうきと言われて照れる。
青は写真が、好きではないらしく、私の写真と交換でお互いに撮り合う
ということで、何とか写真が取れた。
私のは何枚もあるのに、青のは一枚だけだ。
二人で写ったものはデジカメで撮っている。
携帯の画像フォルダから、青の写真を見せると、彼女はうっと怯んだ。
陽香は顔を真っ赤にし、胸元まで押さえている。
「私、撮るの下手なの。本当はもっとかっこいいのよ」
「邪気なく自慢したわね。ものすごくかっこいいのは、十分伝わってるわよ。
でも、ちょっと影がある美形よね」
何故か自分のほうが照れてしまう。
ごく、とお茶を飲み干した。ティーサーバーのお茶だが、かなり美味しい。
「良かったわね、初めてがこの人で」
「何言って」
「違うの? 」
「そうじゃないけど」
人から言われると変な感じだ。
顔が自然と火照ってしまう。カマトト振るつもりはないけど。
「未だにこんな初心で、きっと可愛くてたまんないわよね。
私が嫁にしたいくらいよ。ごちそうさま」
「よ、嫁!? 」
陽香が、席を立ったので慌てて、トレイを抱えて立ち上がる。
慌しく食事を終える人ばかりでこちらを気にする人がいないのが幸いだった。
人気がないからできた話だった。
痛い部分もあったけど、陽香のおかげで少し元気が出た。
部長のことは、気にしすぎない方がいいだろう。
私はこの時近い未来のことなんて考えが及ばなかった。
扉を開けるとダークグレーのスーツを着た男性が、目を細めた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
手をこすり合わせて、見つめる。
陽香に言われたことを意識すれば、気恥ずかしくなる。
ふいと背をかがめて彼が、口づける。
一瞬だけ舌を絡めて、淡く思考を乱す。
「ん……」
「ほら、次はお前の番。今のがただいまのキスだから」
何堂々と言っているの!
頬を指差すから、私は自分の頬を近づけて寄せた。
ちゅ、と軽い音を立てて唇を離した。
ぐいと腕を引かれて抱き寄せられる。
「寂しかった」
「えっと……」
今のは問いかけなのか、彼の気持ちなのか、考え込む。
「考えるな。感じたままでいいんだ。
俺はお前に会いたくて、しょうがなかった。一日が長かったよ」
腕の中で身をよじる私に、彼は耳元でいけない子だと囁いた。
「ちゃんと何があったか話せよ」
骨ばった大きな手に頭をなでられ、うっとり瞳を閉じてしまう。
繋がれた手に導かれてリビングまで歩いた。
一緒にソファに座る。
話し出すのを待ってくれている彼に
恐る恐る顔を上向ける。
「会社で部長に転居の届けを出したの。
でも本当は課長に出しておけばよかったみたい……」
ぎゅ、と彼の手を握り締める。
そうなのだ。春日部長も言っていたし、陽香も軽率な行動をたしなめてくれた。
課長に出しておけばそれですんだ。
山代課長の方が顔を合わせる機会が多く、仕事面でも、優しい性格も尊敬している。
わざわざ部長の所まで出向く必要はなかった。
「やっぱりここって、私なんかが住めるところじゃないのよね」
「何言ってるんだ」
青の声はあくまで穏やかだったけれど、聞き咎めているのが分かった。
「高卒で入社二年目の身分で住める場所じゃないもの。
お金持ちの愛人にでもならなければ」
ぶるぶる、と首を横に振る。捕まれた顎が痛い。
真正面から瞳をとらわれて、体が震えた。
「いちいち言われたことを真に受けるな。
俺の方を信じろよ」
「……真に受けてなんかいないわ!
青しか信じていないもの。でも部長に言われたことが耳を離れないの」
震える声。引き寄せられた体が強く抱きこまれる。
「上司だか知らないが、いちいち社員のプライベートに踏み込む権利はないだろう」
「……そう思う? 」
「当たり前だ。スキャンダル起こされたら困るとか言われたんじゃないか」
「何で分かるの」
「愛人やら言われてるんだからな」
くす、彼は余裕のある笑みを浮かべた。
「もちろん、否定したよな」
腕の中で、頷く。
「ちょっと失礼な位、声荒らげたわ。ものすごく腹が立ったんだもの! 」
「その場面見たかったな」
「意地悪。私、すごく嫌だったのよ。いくら個人的な話だからって
ブラインド下げて外から見えない状態にすることないと思うわ。
昼休みで皆くつろぎたいからこその配慮だったんだろうけど」
ため息が聞こえて、びくりとした。え、失言だった?
青が、体を離す。どこか目が据わっている。
「お前を止めてくれる人間はいなかったのか。
どう考えてもその上司の行動は常軌を逸しているぞ」
「えっと、仲いい子に事後報告したら、呆れられたの」
餌食になりにいくはオーバーじゃないかとは思うけど。
「事前に相談しろ」
「は、はい」
「俺がお前と同じ会社じゃないのを今日ほど口惜しく思ったことはない」
鋭い目が、きらっと光った。
「ご、ごめんなさい! 怒ってる? 」
「ああ、これ以上はないくらい怒ってるよ。
無防備で考えなしの恋人ほど厄介なものはないな。
さて、どうお仕置きしてやろうか」
青は、酷くワルい顔をしていた。
独特の色香が漂う、彼らしい表情だ。
危機感を感じ、ソファの上から逃れようとするも、がっしりと腕をつかまれる。
ふわ、と宙に浮く感覚。軽々と抱き上げられた。
「ご飯食べなきゃ」
「何言ってる。これからお前を味わいつくすのに」
「私のこと嫌にならない? 」
「馬鹿だな。俺はそんな小さい男じゃないよ。
少なくとも今は、そう在れる自分に誇りを持ってる」
何で、彼の言葉は私の心に、染み渡るのだろう。
不器用で、冷たい時も一つ一つの言動が胸に響いていた。
「ほっとけないな。手に余るくらいだ。
逆にそれが、嬉しいだなんて。そんな風に思ったのはお前だけだ」
止めを刺された気がした。彼の胸に頬をうずめる。
「……明日が心配なんだけど」
抵抗しているわけではなく、甘えているだけ。
笑う気配を感じたから気づかれているかな。
「俺が、起こしてやるよ」
自信満々に言われ、はいと答えるしかなかった。
だって、心を揺らす不安も全部彼がかき消してくれるから。
あの波に翻弄されたい。
気づけば、彼の背中に腕を回していた。
リビングを抜けて、寝室を目指すのかと思ったけど違った。
ベッドが置いてある部屋は、メインで使っている場所の他には私の部屋がある。
彼に促され私の部屋の扉のノブを回した。
青が、無造作に部屋の照明のスイッチを入れた。
横抱きにされた格好で、ふわとベッドの上に下ろされ、すぐに彼が覆い被さってくる。
ベッドの脇に肘をついて、私を閉じ込めるみたいに。
何度も彼に抱かれた思い出があるこのベッドだけれど、
シングルベッドなので、二人で眠るのは窮屈だ。
「破裂しそうだな」
胸元に手を当てて妖しく笑む。
その姿に釘付けになった。
不埒な指先が、下着に隠れた頂を摘む。
息を漏らして、彼の腕にすがった。
「えっち」
「そんな軽口を言えるようになったんだよな」
青は嬉々として、肌をまさぐり始める。
服に大きな手のひらを忍ばせて腹部から上に辿っていく。
きっと、ゆっくりと愛してくれる。
彼は、慰めてくれようとしているのだ。
触れられて、奥底まで感じあうことで私の憂いを拭い去れるのを知っているから。
「んん……ふう……っん」
下着の上から噛まれた場所が熱い。もっととねだる様に硬くなる。
彼は、優しくて大胆になり、そして前より意地悪になった気がする。
本能に正直とでも言えばいいのだろうか。
「レースのエプロンって、新婚みたいだな」
「え……だって、パジャマに着替えるには早いし、
お料理するから服に着替えてエプロンつけたのよ」
「そんなの分かるよ」
人差し指で、唇を押さえられる。
「どれだけ、俺をそそれば気が済む。玄関で見た時から
押し倒したくて仕方なかったんだからな」
「ん……っあ」
指でこじ開けられた唇。
絡みつく舌。二人の唇の間で糸を引く。
零れる雫が首筋を流れ落ちる。
「俺だけを見ていろ。何も考えるな」
執拗に繰り返されるディープキス。
まばゆく点滅する光に、意識が焼きつくされる。
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