SHINE
当初年末年始は、ゆっくり過ごすつもりだったが、
すぐに運んでもいい荷物だけは運んでしまおうと
提案し、二人が暮らす部屋に運ぶことにした。
正式な引越し日は一月の最初の土曜日。連休最後の日だ。
その日、業者に手配をし、私と青は車でマンションに向かうことにした。
忙しない時は余計にお互いを求め合ってしまう。
クリスマスイヴの夜以降肌がどんどん馴染んでいくのを感じていた。
あれから濃密な夜を過ごしたのは二度だけ。
結びついた魂を二つに引き離さなければいけないのが辛くて、切なくて。
絆が確かになれば、相手を失う恐怖におびえる。
強くなったと同時に弱くもなってしまった。
これが、恋愛。
隣にいる彼の前髪を掻き分けて口づける。
眠りの中にいる彼は穏やかな寝顔だった。
カーテンを開けると眩しい朝日が差し込んできて二人を照らした。
伸びをして、深呼吸する。
「おはよう、青」
後ろを振り向くと、彼が身を起こしていた。こちらを目を眇め見つめている。
「温もりは残ってるのにお前が側にいないのは寂しいな」
クス、と笑う。その顔に見惚れてしまう。
独特の甘い声は朝から心臓に悪い。
「こ、ここにいるじゃない」
「朝が来なければ、ずっとお前を胸に抱いていられるのにな」
冗談か本気かわからない一言を吐き、パジャマのボタンをはずし始める彼に、
慌てて、顔を背けベッドの側を通り過ぎようとするが、
「待てよ。まだだろ」
「ふえ……? 」
腕をつかまれ、あっという間に彼の懐に抱え込まれていた。
じたばたもがいていると、長い腕で腰を捕まれ逃げられなくなる。
のけぞらされた頤、顎をつかむ指にとくん、と心臓が鳴った。
「っ……ん」
覆い被さった唇は、柔らかなキスを落とし、
角度を変えてはキスを繰り返す。
差し込まれた舌が、私の舌を絡め取り、交差させる。
ぷつん、と甘い吐息が二人の間で、弾けて宙で消えた。
激しいキスの余韻で肩を上下させていると、
彼が悪戯に微笑んだ。
「おはよう」
「……おはよ」
顔を赤らめ頷く。中途半端に肌蹴られたパジャマの下から素肌が覗いている。
きら、と朝日を受けて輝いた。前髪をかき上げる仕草も艶めいて、私を困惑させた。
「何でそんなに恥ずかしがる。俺のすべてを知り尽くしているくせに」
真顔で言うから恐ろしい。
「あなたを見てドキドキしない時はないのよ」
「へえ、それは光栄だ」
また不埒な唇が近づいてくるのに気づき、そっと腕から抜け出した。
不満そうな彼だったが解放してくれた。甘い牢獄から。
「ご飯作るわね」
「待ちきれないな」
青は笑い、頬に口づけてきた。啄ばむようなキス。
「……う、行くわね」
火照る頬を押さえ、広い部屋を出て行く。
引越しはおとつい。あの夜は淫らに奔放に抱かれたのを思い出す。
青は一足先に仕事が始まり、土曜日に引越しで疲れも溜まっていたはずなのに、
不埒な台詞で私を攻め落とした。
妙に説得力がある気がして、頷いたのが間違いだった。
大きな窓に体を押しつけられ、後ろから貫かれた。吐息がガラスを曇らせていた。
記念の夜にしたいだなんて、誘われてそれで……。
(や、やだ。何てこと思い出してるの!? )
いつしか、彼の色に染められてしまっていた。
それを、受け入れていることを心地よく思う。
「今日は仕事始めよ。邪念を振り払わなきゃ」
ぱん、と頬を両手で叩いて、洗面所に向かう。
何度も泊まった高級ホテルと変わらない。いや、寧ろもっと広いかもしれない。
初めて訪れたクリスマスは、あまり見渡す余裕がなかったけれど。
アンティーク感溢れる蛇口の左右を交互に捻りお湯と水を出す。
適温を調節し、水をためると、ばしゃばしゃと顔を洗う。
コットンのタオルで、拭うと化粧水をコットンに湿らせて肌を叩いた。
小気味よい音をさせた後乳液を塗る。
下地とファンデーションを塗ったら一旦メイクは終了。
廊下を渡り、ダイニングキッチンへ。
サイフォンから、コーヒーの沸き立つ音がしている。
テーブルにカップを置く青と目が合った。トースターではパンが焼けるチン、という音。
「ありがとう」
「俺の入れたコーヒーが美味しいって言ってくれたから」
サイフォンから、カップにコーヒーを注ぎテーブルに置いてくれる。
「柔らかくて飲みやすいの」
ゆるく笑って、皿を渡す。
彼は手際よく、朝の用意をする。
一人暮らしが長く自炊もしていた彼は、
私一人に任せたりはしない。
食卓の用意以外にも細かいところにも気がついて、自分の至らなさにへこむ時もある。
彼は、何事に置いてもさりげなかった。
冷蔵庫から、昨夜の内に取り出しておいた卵を割ってボウルの中でかき混ぜる。
パワーをつけたくて、2個ずつ使いオムレツを作った。
「よっと」
手首をとんとんと叩いてフライパンの端に寄せる。
上手く皿の上に移せて思わずガッツポーズをした。
その時拍手の音が響いた。
途端に恥ずかしくなり、顔を赤らめた。
「見事だったよ。もっと誇らしげにしてもいいんだぞ? 」
「食べてみなければ美味しいかわからないわよ」
からかってくる彼に、フォークを突きつけると彼は、小さく美味そうと呟いた。
椅子に腰掛けてから彼はフォークでオムレツを切った。
真ん中で割ると半熟の中身がこぼれ出る。
上品に口に運ぶ姿を目にし、改めて確信する。気づいていなかったのではなく
目を逸らしていたのだ。彼が、いわゆる上流家庭の人間だと。
前住んでいたところも十分豪華だったし、毎度のごとく高級ホテルを予約する。
車のことは詳しくないが、高級なスポーツカーらしい。
マンションに比べれば大して高くはないといっていた。もうすぐ乗り換える予定だとも。
普段の立ち振る舞いも、とても洗練されている。
今まで意識しなかったところに目を向ければ、
とんでもなくすごい人と一緒にいるのだと思い知る。
「美味しいよ。お前のとろけてるほっぺみたいに甘くて柔らかいし」
「……よかった」
甘すぎる台詞でよろめいたけれど、気を取り直し、皿にレタスを盛る。
自分の皿も同じように盛りつけて席につく。
正面に座って食べるというのは照れる。きっとずっと同じ感覚なのだろう。
二人きりの空間だから余計かもしれない。
「いただきますも言ってなくて無作法だった」
「私が、お行儀悪いことしたのよ」
「可愛すぎる沙矢に逆らえない俺もな」
「い、いただきます」
「いただきます」
彼は、日に何度私を動揺させて困らせるのかしら。
「今日のメイクは気合入ってるな」
「部長に、転居の書類を提出するから、緊張しないようにって。
濃いかしら? 」
「大丈夫だよ。すごく綺麗だ」
瞬きする。綺麗って言われる度にきっと魔法がかかってる。
彼しか使えない魔法の効力は、私に勇気をくれる。自信なんてないけど。
「素顔のほうがもっと魅力的なのを知っているのは俺一人で十分だけど」
「ぶほっ」
飲んでいたコーヒーを勢いよく噴き出す。
すかさず、彼がテーブルを拭くのを止め自分で拭いた。
「反応がオーバーだな。本当のことを言ったのに」
「うう……」
うろたえる私に対し彼は本当に楽しそうだった。
部屋を出る時、行ってきますのキスをした。
私は、彼に申し訳ないので、送ってもらうのを断り
公共交通機関を利用することにしたが、未だ彼は納得していないようだ。
その内、彼の車で通うことになるかもしれない。
昼休み、部長室の扉をノックした時、緊張で手が震えていた。
「水無月です」
「どうぞ」
柔らかな声だと思った。幾らか、リラックスした気分で扉を開ける。
オフィスの隅にあるガラス貼りのスペースには、滅多に出入りすることはない。
お茶を持っていったり細々とした雑務をする社員は、いつも出入りするのを見かけるが。
マホガニーの机は、社長室かと疑いたくなるほど立派だ。
靴音を響かせないように気をつけて、少し離れた場所で立ち止まり頭を下げる。
空気が動く気配。部長が、立ったのだ。
「課長あたりに出せば僕にも回ってくるのに。
わざわざここまで届けに来てくれたなんて、そんなに会いたかった? 」
軽口にびくっと足がすくむ。
同じような台詞でも言う人物が変われば
違って聞こえるものなのだなと、心中考える。
青の一挙手一投足には、ときめきばかり覚えるのに。
「転居届けを提出に来ました。お忙しい所申し訳ありません」
目の前の部長から、コロンが漂っている。青とは違うタバコのにおい。
私が渡した書類をしげしげと眺めて、顎をしゃくる。
「失礼します」
用件は済んだので、また頭を下げて部屋から出ようとした。
いつの間にやらブラインドで部屋が、クローズスペースになっている。
「水無月さん」
「はい? 」
金縛りにあったように動けない。
「社員のプライベートに口出すつもりはないんだけど……」
意味ありげに言葉を切った部長が、側に立つ。
腕を引かれて共に革張りのソファに座る。
この暴挙は何だろう。上司が部下に対してこの行動は普通なのだろうか。
ただ、引越ししましたと会社に知らせにきただけなのに。
「管理職にいる立場として、個人的に社員の動向も把握しておきたいんだよね。
スキャンダルを起こされたら、たまったもんじゃないし」
「どういう意味でしょうか」
「資格を持っているものの、高卒で、入社二年目の
女子社員の給料で、こんな所に住めるのかな」
部長は住所とマンションが記載された部分をとんとん、とペンで叩く。
「え……」
「どっかのセレブの愛人にでもなったの?
最近とんでもなく綺麗になったよね」
「愛人になんてなっていません! 」
とんだ侮辱だ。青が用意した場所だったからこそであって、
私一人だったら、一生住めなさそうな場所であるのは確かだけれど。
言わなくてもいいことまで話さなくてもいいと思った。
もうすでにこの人は踏み込んではならない部分まで侵している。
こぶしを震わせて、うつむく。
「ふうん。でも入籍したわけじゃないみたいだし。
いいように遊ばれて捨てられるんじゃないの」
「し、失礼します! 」
乱暴な仕草でソファを立ち、部屋を出た。
春日学。この部長の名前をこの先忘れないだろう。
屈辱と恥辱でゆがんだ顔を、洗いたくてトイレに向かった。
昼休みが終わる前にランチを食べなければ。
(青……)
メイクを直し、トイレの個室で携帯から彼の番号を呼び出す。
すぐに彼につながり、ほうと息をつく。
「どうした? 」
「何でもないの。声が聞きたかっただけ」
感情が乱れているのにどうか気づかれませんように。
「俺もお前の声が聞けてうれしい。今すぐ会いたくなったよ」
「ふふ」
慰めてくれるような声に、瞳から涙がこぼれた。
「終わったら急いで帰るから。ご飯作って待ってるわ」
「時間が合えば迎えに行けるんだけど。大丈夫か? 」
虚を突かれる。何でこんなに鋭いのだろう。
「大丈夫よ! ありがと」
受話器越しに微笑んだのが伝わればいい。
「じゃあ夜に」
彼は、私へと伝えるためにサインを送ってくれた。
軽く響くリップノイズ。
ふと、会社のどこで電話をしているのか気になった。
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