服の上からではわからないが、実は筋肉質なのも知っている。
筋肉があるけれど腰元は、細くて、そこがイヤらしいような。
こんなこと考えてしまう程彼の体に
何度も触れて、確かめ合ってきた。
「お前も今後俺が帰り遅かったり、
夜勤で帰れない日があったら陽香さんを呼べよ。
一人でいるより一緒にいて息がつける相手といた方がいい。
こっちも安心して勤務できるというものだ」
「……うん。陽香がOKなら来てもらう」
「ああ」
「明日藤城の屋敷に行こうと思ってる。
婚約したことだし、結納の日取りを決めなければ。
来週辺りお母さんにこちらへ来てもらうことできないだろうか。
屋敷に泊まりたいなら今日からでもいいぞ」
「お母さんに連絡しておくわ」
「頼む」
「伺うのはいいとして……泊まるのは、婚約者の身分でおかしくないかな」
結婚してからだと思う。
彼の配偶者ではない私がずうずうしくおうちに泊まるだなんて。
「もう既に俺も身内と色々関わって、家族も同然じゃないか。
砌なんて一度彼女連れで遊びに行ってるぞ。
あれは、親父に要求されたからだが」
お父さまと呼ぶより、らしい気がした。
これは、もしかしたら翠お姉さまのことももっと気軽に呼んでいるのかも?
「じゃ、じゃあ……行きたい」
「とりあえず、連絡するか」
ご実家の番号を押した青は、電話に出た相手に
穏やかな口調で話していたが、案外あっさり通話は終了したようだ。
「操子さん、それではよろしくお願いします」
「お父さまは病院なのね……お忙しそう」
「そうだな。休みでも病院に顔を一度は出すし、
どんなに毎日が大変でも弱音を漏らしたこともない。
義兄さんの言ってたのは方便だよ。
音信不通でもあるまいし、万が一何かあったら連絡してくるだろうから。
何で素直に顔を見たいと言えないんだ。
どうせ、お前に会いたくてしかたがないんだろ」
彼も人のことは言えないと思う。むしろ意地っ張りなところに似ている。
吐き捨てる様子に可愛らしさを感じた。
「何か言いたそうだが? 」
「い、いいえ! 」
「操子さんには家の細々としたことを取り仕切ってもらってる。
彼女に俺も親父も姉も助けられてきた。
親父やその他の人間からも信頼は絶大なんだ」
彼の言葉にうなづきながら、湧き上がった疑問を口に乗せた。
「あの、翠お姉さまのことは、影では何て呼んでいるの? 」
「目を輝かせて聞くな」
「えー、気になるんだもの」
「呼び捨てだ」
さらっと言い捨てて、彼は立ち上がる。
まさか、という思いとやはりという確信が当たった喜び。
敬称をつけて呼ぶのに慣れている風だったし、
そう呼んできたのだろうけれど、納得がいった。影では呼び捨ててたんだ!
失礼ながら違和感を抱いていたので、真相がわかって心のもやもやが晴れた。
にまにまする私を彼は気にすることもなく背中を向ける。
「準備をしてこよう」
コクりと頷いてそれぞれ、泊まる用意をしに部屋へ向かった。
クローゼットから下着と着替えの服を取り出し、バッグに詰める。
バスタオルとかはどうしようと悩み、一応入れることにした。
洗面用具とスキンケア、メイクグッズ類を携帯用のポーチに詰める。
部屋から出ると、荷物を手にした青がいた。
あっ、と言う間もなく空いた手にバッグを持ってくれる。
「い、いいのに」
「俺がしたいからしてるだけ」
返された言葉に頬を赤らめる。
彼と気持ちが通じ合えていなかったころも、
助手席のドアを開けてくれたり、バッグを持ってくれたりしていたのだ。
何の感情もなく、できることではない。愛情以外感じない。
逆に、女性に対してするのが普通で感情は別だとしたら恐ろしいけど、
彼は、好きな人にしか優しくないので違うだろう。
うぬぼれじゃない……よね?
してもらえるのが当たり前だなんて思ったら駄目だ。
プライペートの時だけは、厚意に甘えさせてもらっている。
車の中で、発車する直前彼の方を向いて問いかけた。
「お父さまは何時頃、お帰りになられるの? 」
「今日は5時だな。曜日は関係なくほっとけばいつまででも病院にいるからな。
さすが院長というところか」
「うわあ……かっこいい。さすがね」
「あの人には生涯かないそうにないのは確かだ」
漏らされた言葉に彼の本音が垣間見えた。
言葉では言い表せないくらい、尊敬しているのだろう。
私がこの先親しく接するようになる人だ。
「この前よりゆっくりお話できるのが嬉しい」
「きっと喜ぶ。嬉しすぎて天に上る気持ちになるんじゃないか」
「えっ。そんな縁起でもないこと言わないでよ……」
顔に悲壮感が現れていたらしい。
クスクスと笑われ、おでこを弾かれた。
「たとえだろう。本気にするなよ、馬鹿」
「そ、そうよね」
彼の馬鹿には愛を感じた。
あんな風に笑いながら言われても嫌な気は起こらない。
「青、今日は駄目よ! 私にだって都合があるんだから」
釘を差しておかなければ、うちの実家を訪れた時みたいに
彼の思うがままになってしまう恐れがあった。
静かで穏やかな夜を過ごしたいの。
「ああ、排卵日と生理週間含めたら一月の内二週間は禁欲した方がいいかもな。
プラスに考えれば月の半分は抱けるということだし」
「なっ……、そこまで言ってない」
冷静に言うのは医師だからですか。
一日の回数が多いのか、そのまま月に15回なのか。
うわ、どう聞けばいいのよ。
「排卵日は妊娠を避けたい場合危険日だが、希望する場合は安全日だな」
「うわあー分かってる。知ってるから! 」
「愛の営みだろう。恥じるなよ」
「うっ……」
「早めに病院を予約をして薬のことを言わなければな。
来週の土曜日は俺も勤務日だからその日にするか? 」
「は、はい! 」
ついに白衣の青に会えるの!
コスプレじゃなくて実際に立ち働く姿を見られるかもしれない。
頬が緩んできたわ。陽香に自慢しちゃおう。
舞い上がりかけた所で、はたと我に返る。
(……よく考えたら、運良く彼の働いている姿を見れる可能性は低いのでは)
と思った所で名案を思いついた。我ながら打算的だわ。
「婦人科にかかって、かかりつけのお医者様になったでしょう。
風邪ひいた時も大学病院で診てもらおうかな。
偶然でも藤城先生に会えるかもしれないし」
私の問いに彼は顔を手のひらで覆った。
「お前からそう呼ばれると変な気分だな」
「いつも呼ばれてるんでしょう」
「医師同士ではな。患者さんからは呼ばれたり、
先生だけだったりかな。どうでもいいだろ」
ぶっきらぼうな様子は照れているのかしら。
彼は、私の腕を少し乱暴に引き玄関の扉を開けた。
青の実家である藤城家に着いた時、外にダンディな男性が一人佇んでいた。
「やあ! 待ってたよ、沙矢ちゃん」
何かあったようにはとても見えない。
お元気そうで、安堵する。
溌剌(はつらつ)とした様子で声をかけてきた青のお父さまは、白衣姿だ。
多分戻られたばかりなのだろう。
「お忙しいところ、すみません! お邪魔します」
「戻りました」
お父さまは私の手をぎゅっと握りしめ、実の息子の方を完全に無視していた。
満面の笑みを浮かべてこちらを見つめてくる様子は爽やかで
初老という年齢には見えない。
本当に若々しくて一体何歳だろうと思ってしまう。
陽お兄さまを挟んで三兄弟でもいいくらいじゃないかしら。
三人とも、独特の色香を纏っているのは間違いない。
「沙矢、何を考えているかは大体分かるが、
口に出すと果てしなく調子に乗るからやめろ」
顔に出てたの!
ぼっ、と熱が顔に集まってくる。
頬を両手で挟んだ。
「青、いたのか……チッ」
わざとらしく言ったお父さまは、あからさまな舌打ちをした。
大きな手が肩に伸びていたが、察知した青により、見事に阻止される。
ぐい、と引き寄せられて、むうと唇をとがらせる。
「お、お父様が抱きしめてくれそうだったのに! 」
ぼそぼそと小声で言うと、ため息をつかれてしまう。
本当の娘みたいに抱擁してくれるみたいで、心が浮足立ったのだが
青は、許してはくれなかったようだ。
「ここで、ビシッとした態度をとっておかなければ
この先が思いやられるんだ。
一緒に暮らし始めてからでは遅いからな」
重々しい口調で言われて、ぽかんとなる。
お父さまはお身内でしょう?
「抱きしめたくなったのは、変な意味じゃないよ。
未来の父から娘への抱擁なんだからね。
まったくこの息子は父親にまで嫉妬するのか」
じいっと青を見つめたお父さまは、呆れた風情になった。
「ある意味安心だけどね。彼がここまで大事にしている女性を僕は見たことがないから」
どくん、心臓は小さく鳴った。
青を見ると、真顔だった。
「そうですね。間違いないです」
ぎゅっ、と抱えこまれた腕の中で、息をつく。
「二人とも改めていらっしゃい。
操子さんが腕によりをかけてごちそうを作ってるよ」
お帰りはまだ言わないよとお父さまは茶目っ気たっぷりに仰った。
建物の中に促す姿は、待っていてくれたのだと改めて思う。
「あ、これ、食べてください」
ここへ向かう途中、時間があったので手土産を買いに寄った。
お父さまはワインがお好きと青に聞いたので、合うようなものを見繕った。
ほぼ彼一人が選んだようなものだけど。
持っていた袋を差し出すと目元を細めて笑ってくれた。
「ありがとう。後で一緒に食べよう」
三人並んでお家の中に入っていく。
ここに訪れるのは二度目だけど、やはり広いお屋敷だと思う。
玄関ホールでは、操子さんが、出迎えてくれていた。
ぺこり、と頭を下げ差し出してくれたスリッパを履く。
「お二人がいらして下さりとても嬉しいです。
旦那様も心待ちにしていらしたんですよ」
リビングへと向かいながら話す。
終始にこやかなお父さまは、息子が頻繁に戻ってきて嬉しいのだろう。
「まあね。青は連絡が毎度急だから、
心臓がいくつあっても足りないよ。
老いぼれを驚かせるのもほどほどにしてくれないと」
「恥ずかしげもなく生涯現役を自負する人間が老いぼれとはよく言うよ」
青は丁寧語を崩している。
私も同じ気持なのでこくこくと頷いておく。
恋愛が生涯現役ってことなのよね。
この方なら言っても問題ないわ。
お父様の後ろから、リビングルームに入りソファに座る。
青とお父さまが対面に座り、私は青の隣りだ。
「お若いじゃないですか! 20年前からお変わりになられてないのでは? 」
「君のお母さんはそう言ってくれるかなあ」
お父さまは満更でもなさそうだ。
「きっと、言いますよ! 」
「褒めるのが上手というのはコミュニケーション能力があるということだ。
どう、将来は、病院の経理をしないかな? 今の仕事のスキルも生かせるよ」
「……気が早い。沙矢が困ってるだろうが」
「ええと、あまりに想像がつかないお話だったので驚いてました」
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