小さくうめいて、ゆっくりと瞼を押し開く。
 見慣れない天井だと、ぼんやり考えた時、あっと気づいた。
 がばっ、と跳ね起きる……がかなわなかった。
 甘い気だるさが体を襲っていて、ふしぶしが痛い。
 ふしぶしというのは大げさだろうか。
「も、もう」
「さわやかな朝の第一声がそれか? 」
 婚約者さまは、しれっとのたまう。
 朝の光を浴びて、きらきら神々しい。
 億劫そうにあくびを噛み殺していても、そんな様子さえ絵になっていてまったく見苦しくもない。
(この人、どれだけずるいのかしら! )
 自分の薬指を確認したら、豪華な石がきらりと輝いた気がした。
「い……今何時なのかしら」
 いつもの習慣で早い時間に目を覚ましているはずだった。
 ビロードのカーテンの隙間からもれる光は薄く柔らかだ。
「ここは、後朝(きぬぎぬ)のロマンティックな気分に浸るものだろう」
 腰と肩の両方に回された腕のちからが強くなった気がした。
 いつからこの格好だったんだろう。
 私が眠った後、彼も寝たはずだ。
 体は重いが、不快感は何もない。
 愛し合った痕跡は綺麗に拭ってくれている。
 さすがに、シーツまではどうにもならなかったが。
「うわあ。ど、どうすればいいの。
 お掃除は操子さんが、してくださるのでしょ。まずいわ」
 取り乱すばかりの私だったが、部屋の持ち主である彼は、平然としている。
「お前、落ち着けよ。ここは俺の部屋だぞ。何も問題ない」
「久しぶりの実家なのに、罪悪感はないの! 」
 これと似たような状況は二ヶ月前にもあった。
 私の実家に泊まった時は、もう少し緊張感やらがあったと思うが、
 今はリラックスしすぎていて、遠慮のえの字さえない。
 久しぶりとはいえ、自分の部屋だからだろうか。
 そわそわしているこっちとの温度差が、すさまじい。
「罪悪感など覚える必要がどこにある」
 ふてぶてしく言い放った彼は、未(ま)だ起きる気はないようだ。
 恐る恐る壁際にかかる時計を確認したら、6時台でほっとする。
「ほっとしている場合じゃないわ」
 ぴったりと貼りついた長い腕と、脚を引き剥がすのは中々骨が折れる。
「青も起きて。まずは朝の一服でしょう」
「いや、俺はこっちの方が」
「ん……っ」
 唇があっけなく覆われて彼の熱い舌が入り込んでくる。
 ねっとりと絡められ、甘い陶酔に堕ちてしまいそうになり、彼のむき出しの肩を押し返した。
 微動だにしない。
「駄目っ……」
「誘っているんだろ」
「誘ってないわ……」
 いたずらな指先が胸のふくらみの頂点をこすり爪で弾かれた瞬間高らかな声をあげた。
 彼は、本格的に手を出そうとしているわけじゃないらしい。
 あっさり、身を起こし、部屋を出て浴室へ向かう姿を呆然と見送っていたら、
「名残惜しそうな顔」
「し、してないもの! 」
 彼がちらり、振り返った。
 口の端を歪めながら。
 顔が赤くなるのを押さえられないまま、着替えを用意し後を追いかけた。
 走りだそうとしたら、足が、もつれてつまづきそうになってしまう。
 無様な姿を目撃され、くすっと笑われむっと頬を膨らませた。
 彼の思うがままにあしらわれても不思議といやじゃない。
 今日もかなわないと諦念の気持ちになるだけだ。
 自分の無力さを痛感し虚しくなるからやめよう。
 籐の籠に着替えを二人分おいて、まとっていたシーツを払い落とした。
 さすがに裸のまま走る度胸はなかった。
 扉を開けるとシャワーの音が聞こえた。
 湯気で煙り長身の姿が見えないのに、安堵したのは、
 またいたずらをされたら身も心も持たないと思ったから。
 体が騒いで心が、彼を求めてしまう。
 散々愛し合って眠ったからこそ、自分の貪欲さにはあきれる。
 そう、なるべく日を置いた方がいのだ。
 ともに暮らし初めて二ヶ月、あきれるくらいに抱き合った。
 密度が濃い時間を重ねてきたけれど、欲すれば与えあえるから、どんどんわがままになっている。
 それに、気になることがある。
 彼ー青ーは、医師(ドクター)だから知っているはずだ。
 やましいことではない!
 まじめに考えているだけよ。
 シャワーを終えた青が、湯船につかる様子を目にし、シャワーを浴び始める。
「さーや」
「ぎゃあ」
 いきなり甘い声で愛称を言われ悲鳴を上げた。
 声が浴室の壁に反響して届くから心臓に悪い。
 普段より大きく聞こえるのだ。
「失礼な奴だな」
「急に声かけられたら、びっくりするわよ。私が来たこといつから気づいてたの? 」
「気づかない方がおかしい」
 ふっ、と笑われた気がして、ぞくっとした。
「どうした、シャワー浴びてるんだろう。
 動きがおかしいぞ」
「見てなくていいわよ、変態ね」
 逐一観察されてると気になって仕方ない。
 彼を深く受け入れることにはためらわなくても。
「感じたのかと思って。全身の感覚が敏感になってるだろう」
 イヤらしい雰囲気はみじんもない。
 医師から診断を聞いているような錯覚に陥ったため、こくりとうなずいたのだが、
「へえ、じゃあそれを俺に見せてくれるかな? 」
 青の発言は予想の遙か上をいっていた。
 そっちに持っていく気なら私も勇気を出そう。
 体を洗い終え、そうっと後ろから湯船を目指す。
 彼が背中を向けているのでその死角をねらい湯船に身を浸していく。
「何そんなに離れてるんだ。逆に意識しているみたいだな」
「まじめな話があるからよ。くっついてたら、できなくなるでしょう」
「なるほど」
 今日の青はふざけている!
 実家でリラックスして気が抜けているのかしら。
「あのね、あまりするのよくないんじゃないの? いざという時子供が、できずらくなるんじゃ」
「出しすぎると減るって? 」
「オブラートに包めないの! 」
「いや、まじめな話なんだろ」
 にやにやとされ、うっ、とうめいた。
「そんなキャラだったっけ」
「久々の実家で緊張しているから沙矢に、和ませてもらってるんだよ」
「そうなの? とても緊張している風には見えなかったけど」
 和んでもらえるのならうれしい。
「話の続きだけど、つまり青が言ったとおりだから、週末だけにしましょうよ。ね? 」
「かわいく言われたら、うなずきたくなるが、なぜ拒否する理由があるんだ」
「俺は一時だっておまえと離れていたくないのに寂しいな」
 続けざまに言われ、あたふたと慌てて油断していたら長い腕が伸びてきた。
「だからさっきから……っ」
 腰に回った腕やら彼との密着具合は心臓を暴れさせるのに十分だった。
「すごい高鳴ってるな。全力疾走した後みたいだ」
「ドキドキしてるから」
「沙矢は真剣に考えてくれてるんだな」
「うん。青が私のことを大事にしてくれたように、私もあなたとの未来が大事だから」
「ありがとう……沙矢。入籍したら流れに身を任せればいいな。できるときはできるよ」
「青……」
 ちゅっ、と軽いリップノイズが聞こえる。
 甘くてじれったい口づけ。
 ついばむようにして離れた唇を追いかけて、彼に口づける。
 正面から抱きしめられてふるえた。
「愛してるよ」
「ん……」
 背中をなでる指先が優しい。
 肩にもたれたら、包み込んでくれる熱い肌。
「大丈夫だよ。俺も何も考えてない訳じゃないし、お前に無理はさせたくはないから、信じてくれ」
「あのね、もしも体がつらいなら、私手伝うわ!
 そうしたら、すがすがしい気持ちでお仕事に励めるでしょ」
「手伝うって何を? 」
 くっ、と笑われ、しまったとおもった。
 まずい。しくじったかもしれない。
「そ、その……」
 視線をうつむきかけ、はたと止まる。
彼のそれは、熱を持ち上向きかけていた。
 お湯で温まって熱くなっているのとは明らかに違う。
 意識すると自分の体まで、熱がほとばしる。
 キスで感じて濡れたのは私も同じだ。
 彼がたかぶっているからって、何も言えない。
 お湯の中に手を伸ばす。
 手のひらで確かめたら、びくんとうちふるえた。
「積極的でいいことだな……だが俺は
 それをされるよりもおまえを感じさせたいんだ。
 だいたい、その行為で出したら結局同じことだろ」
「あ……」
 気づいたら、浅はかだった自分が恥ずかしい。
 青はいたずらな視線で私を見つめ、お湯の中で、私の下半身に手を伸ばした。
 指先で、花芯を摘まれ、花びらをなぞられた。
「キスだけで溶けそうだな」
 耳朶をはまれながらつぶやかれる。
「名残惜しそうな視線を背中に感じてたよ……、何も遠慮しなくていいんだぜ」
 吐息が耳にそそぎ込まれる。
「次のお休みにまた抱いて」
「ああ」
 背中を強く抱きしめられ、笑みが浮かぶ。
 くすぶった熱は、そのうち冷めるだろう。
「先にあがってるよ。ゆっくりしろ」
 こくんとうなづく。
 体の大きな彼が湯船からあがると、じゃば、と飛沫(しぶき)がたつ。
 ふいに握られた手を握り返す。
 ああ、大きな手。安心する。
 広いバスタブの中、彼との抱擁を思い出しながら、吐息をついた。
 部屋に戻った瞬間、放送が鳴り響いた。
 こういう放送を聞くのは高校の時以来だ。
「おはようございます。7時30分になりました。
 朝からよく晴れてよいお天気に恵まれました。
 昨夜は久々に青さまがお戻りになり、婚約者の沙矢さまもご一緒にお連れくださってます。
 こんなににぎやかな朝は何年ぶりでしょうか。
 長々と申し訳ありません。嬉しさが隠しきれません。
 隆さま、青さま、沙矢さま、朝食の準備が整っております。
 一階のダイニングキッチンへと足をお運びくださいませ」
 決して事務的ではない気持ちがこもった館内放送だ。
「操子さんの放送も久しぶりだな」
「こういう放送って高校の時聞いて以来だわ……」
 懐かしいような不思議な気持ちで、余韻に浸る。
「大学へ通うまではずっと聞いてたのね。
 楽しそう」
「朝は操子さんの放送を聞かないと始まらなかったな」
 すっ、と立ちあがった青に手を差し出され、その手を取った。
 目線に促され歩きだす。
 螺旋階段を下りた時、メイド服姿の品のいい女性が目の前に現れ軽く会釈した。
「「おはようございます」」
 二人同時に言葉を返し目線を交わす。
「おはようございます。朝から、お仲がよろしいですね」
 にこにことほほえまれ、ぎくっとなる。
「あからさまな態度とるな」
 耳元で吐かれた低温に、かたまる。こ、こわい。
「お父様はもう? 」
「お席でお待ちです」
 ふう、と息をついて青は私の手を握りなおした。
 ダイニングキッチンには、このお屋敷の主であり、青のお父様がすでに着いていらして、
 目があったとき、小さくほほえまれた。
 うっ、と照れてしまう。
「おはよう、いい朝だね」
「おはようございます。すっかりくつろがせていただきました」
「君が越してくる日が待ち遠しいな。
青、入籍してすぐは無理なのかい?
 うちには運転手がいるから、沙矢ちゃんも無理なく出社できるよ」
 朝からまくしたてられ、うろたえる。
「お父様、俺と彼女は、出会って一年も経っていないんですよ。
 結婚式でお披露目させていただくのはともかくすぐに藤城の家に帰る理由はない。
藤城総合病院に身を置くのは約束したじゃないですか。
 結婚してしばらく二人きりの時間を持ちたい。
 毎週末に顔を出すことで了承してくれましたよね」
 険のある雰囲気を醸し出す青に、おろおろする。




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