お父様は、苦笑し目元を和らげた。
「……朝から親子喧嘩して、かわいいお嬢さんを困惑させるのはよくないな」
「大丈夫です」
 にこにこ笑う私のそばで操子さんがカフェオレを注いでくれた。
 小声でお礼を言い、みんなで手を合わせた。
 青とお父様もさっきの険悪な雰囲気などなかったかのように、食事を開始している。
 スープをすする音さえしないのでとても静かだ。
 角砂糖も目の前に置いてあり、気遣いがうれしい。
 私はシュガーポットから角砂糖をひとつとり、カフェオレのマグカップにぽとんと落とした。 
 ぐるぐるとかき混ぜる。 
 目の前には焼きたてのトーストと目玉焼きが一枚のプレートに盛られていた。 
「沙矢ちゃん、来週の結納はどんな装いをするの? 」 
「まだ具体的に考えてないんです。婚約も急展開でしたし…… 
もし同じ格好でいいのなら、、成人式の時の着物にしたいです。 
母から譲り受けたものなので大事な時に着たくて」 
 思いついたことだったが、新たなものを買うのならこれを着たいと思った。 
 青の方を目で見ると、優しく目元を和らげ頷いてくれた。 
「一度見ましたが、本当によく似合っていましたから。可憐で大人っぽさがにじみ出てて」 
 実の父の前で至極まじめな顔で恋人ののろけを語る。 
 ぼっ、と頬が火照り赤くなりながら、彼の言葉を聞いていた。 
(照れもせず、いってのけた) 
「ありがとう、青」 
 小声でお礼を伝え、ほほえむ。 
「当日の装いは、二人に任せることにしよう。席はこちらで整えるからそれは安心しておいて」 
「よろしくお願いします」 
 青と二人頭をさげると、
「堅苦しい話はもうやめよう。せっかくの朝食がさめてしまう。
 操子さんが、腕によりをかけて作ってくれたんだからね」
 お父様の言葉で朝食が始まった。
 朝は同じ席に操子さんもついている。
 サラダを取り分けくれた時に、ふいに気になっていることを聞いてみた。
「住み込みなんですか? 」
「いいえ、普段は7時に出勤させて頂いておりまして、夕方には帰宅させて頂いております。
 週に4日の通い家政婦ですよ。
 昨夜はお二人が泊まられるということで私もこちらに泊まらせてもらったのです。
 昔はありがたいことに住み込みで皆様のお世話を仰せつかっていたのですが、
 今は、旦那様お一人ということで、手が空いているのです。
 あの放送も青さまがお屋敷にいらしていた時以来で、はりきってしまいました」
 ありとあらゆる事情が見えた気がする。
「広い屋敷に一人暮らしなもので、掃除が行き届かないくらいしか
 困ったことはないんだ。普段の食事も惣菜を冷凍してくれていたり、
 なければ自分で簡単に作るしね。
 本当なら、来てもらうのも悪いんだが……」
 気遣うような視線に、操子さんは、さりげない笑みを浮かべた。
「寂しい身の上の私はわがままを言って家事の補助をさせて頂いてるんですよ。
 こちらで、働かせていただけることが明日を生きる活力です」
「大げさだな」
 きっぱり、言い切った操子さんに、お父様がくっ、と笑った。
 サラダもスープも平らげるとカフェオレのマグカップを傾ける。
 青は、上品に口元をナプキンで拭っていた。
「操子さんのおかげで久しぶりの実家も
 気づまりすること無く過ごすことができました。
 本当にありがとうございます」
 すごく実感がこもって聞こえた。
 愛息の皮肉にもお父様は意に介している風はない。
 ちょっとした事にいちいち動じたらお医者様なんて務まらないのかもしれない。
 揃って、ごちそうさまと手を合わせると、お父様から順にプレートに載せて食器を運んでいく。
 家族の仲間入りみたいで嬉しいっ。まだ気が早いけど。
「操子さん、私の方もありがとうございました。
 本当に楽しく過ごせたんです。
 お父様、お城のようなお家で、夢のような時間を過ごせて幸せです」
 しみじみ伝えると、お父様は、くすっと笑ってぽん、と肩を叩いてくれた。
 食器を洗う水の音が聞こえ始める。
「お前、勝手に夢にするな」
「そんな、ムキにならないでね」
 ふふと笑うと、青は押し黙り、父親の後で自分も黙々と食器を洗った。
 最後に私と操子さんで、残りの食器の片付けだ。
 時々冗談が通じないのって、生来の生真面目さのせいかしら。
(何だか、可愛すぎるわ)
 にまにまし続けていた私は、ダイニングの椅子に戻った青に
 据わった目で見つめられていることに気付かなかった。
 お皿洗いが、楽しくて夢中になっていた。
 洗い物が終わってリビングに行くと、青とお父様が、談笑に興じている。
 さっきまでの険悪さを微塵も感じさせない雰囲気だ。
 にこにこしながら、青の隣りに座るとすかさず手が繋がれた。
「沙矢ちゃん、青の面倒見てくれてありがとう。
 君のような清純可憐なお嬢さんをたらしこんで、本当に悪い男だよね」
 目の前に、愛息子がいるのに、なんてことを仰るの!?
 驚きすぎて、凍りつく私はぎこちなく首を動かした。
 青は、平然としているけど、内心むかっときているのかしら。
 言葉で確かめるのが怖い。心なしか、手を握る力が強くなった気がする。
「私も、同罪です。たらしこみましたから」
 切り返しにお義父さまは、むず痒そうな表情をした。
 爆笑をこらえている?
「失礼」
 後ろを向いてハンカチで口元を押さえている姿に、何がそんなにおかしかったのだろうと思う。
 背中から膝が、ぷるぷる震えてるんですけど!
 上品なのに愉快な方だわ。
「沙矢、俺もさすがに今のはきた」
「きた? 」
 青は爆笑しなかったが、やたら嬉しそうな顔をしていた……
 と思ったら、頬に唇の感触がした。
 一瞬で離れた唇は、熱くて、呆然としてしまう。
「たらしこむなんてタイプじゃないお前が、言うからおかしいんだよ」
「そうかしら? 」
「青には、女性を大切にしなさいと口を酸っぱくするほど、言ってきたから、大丈夫。
 それは保証する。きっと、君ならわかってるかな」
 よろしく、というふうに頭を下げられ、恐縮する。
 いえいえと頭を下げ返すと、柔らかく笑ってくれた。
 その瞬間、二人の間に血を感じた。
 やっぱり親子だなって。
「そろそろ失礼するね。来週の結納が終わってからも顔見せるんだよ。
 沙矢ちゃんと一緒にね」
「はい」
 首肯する青に、じんわり心があたたまった。
 認められているのを実感して、喜びがこみ上げる。
 リビングを立ち去っていく背中を見ながら、青と結婚したら将来この方が父親になるんだ。
 近い未来を想像して、青に寄り添うと、彼は何を思ったか深く息を吐きだした。
「青、今日は具合悪いの? いや、そんなわけなかったわね」
 心配しかけて、思い直した。
 朝から、マンションにいる時と変わらないスキンシップだったし、
 何より、昨日なんて、欲求不満をすべて解消するかの勢いだった。
 だめ、何考えてるの!
 体温がふたり分になったみたいに熱い。
 急に頬が火照り始めたのは、自分のみだらな思考のせいだと
 思っていたが、彼が首顔や首筋、鎖骨にキスを降らせてきたせいだった。
「か……帰るんじゃないの! 」
 押しとどめたら、意外にも彼はおとなしく体を離した。
「そうだな……ここでは許してやるか」
 妥協してやったみたいな言い方に呆気にとられた。
 ソファの上で、腕を回され、体を寄せ合う格好になる。
 広いのに、隙間なくくっついてるから、スペースがだいぶん空いている。
 テーブルの上には灰皿なんてなかったから、彼が煙草を口にしたくなったら
 困るだろうなと思っていたけど、そういう素振りは見せる気配がない。
「口さみしくない? 」
「お前が寂しさを埋めてくれるから平気だ」
 素早く奪われた唇。
 キスは、ついばむものから、やがて深いものへと変わっていった。
 背中をきつく抱かれているから、逃れるすべはなくて甘い吐息を宙に逃がすのみだ。
   「……沙矢、俺が藤城総合病院に勤務になっても、実家で暮らすのは少し先になる。
 今のところ、俺の誕生日か、遅くても沙矢の誕生日を目処に考えているがそれでいいか? 」
「私はあなたについていくだけよ」
 意外に早いと思ったけれど、彼も父親のために帰りたい気持ちなのだろう。
「この家で暮らすようになってもマンションはそのままだ。
 二人で過ごしたくなったらあっちに行けばいい」
 頭を掻き抱かれ、こくんと頷く。
「青さま、沙矢さま、お取り込み中の所失礼致します」
 涼やかな声の乱入に凍りついた。
 二人だけじゃなくなったら、日常茶飯時になることだ。
 慣れなきゃ。
 青なんて、平然と操子さんに対応しているじゃない。
 私を腕の中に閉じ込めたままに。
 彼の肩に顔を埋めた格好だったので、離れようと体を動かすが、
 完全に動きを封じられてしまい、かなわなかった。
「仲睦まじいご様子で安心しますわ」
「この先もきっと、不安にさせたりはしませんよ」
 さらり、返している。 
 囁くような低音が、頭上で聞こえどきりとする。
 お屋敷でいちゃいちゃしていたのは、私達だけれど、
 操子さんもタイミングを狙ったのかも?
 恥ずかしくなって、やっぱり顔を見られなくてよかったと思った。
「旦那様からです。どうぞお持ち帰りください。
 藤城家で昔から贔屓にしている洋菓子屋のショートケーキです。
 青さまもお好きでしたよね」
「ありがとう、操子さん……懐かしいですね」
 青が腕をほどいてくれたので、するりと抜け出て体勢を整えた。
 テーブルの上にはケーキの箱が置かれている。甘い香りも微かにしてくる。
 ぺこり、とおじぎをした。
「ありがとうございます」
「いえいえ。帰られたら、お召し上がり下さいませね。
 お見送りはできなくて申し訳ありません。これで失礼します。
 結納の日にまたお目にかかれるのを楽しみにしておりますね」
「こちらこそ! よろしくお願いします」
 小さく目礼してくれた操子さんに微笑む。
 丁寧に会釈して彼女はリビングを辞した。
「お父様も、操子さんもお忙しいのにお心遣いばかりしてくださって」
「お前が来たから嬉しかったんだよ。
 俺も久しぶりだったし有意義な時間を過ごせたと思う」
「部屋に戻って荷物を持ってこなきゃね」
 青が、手を差し出してきたのでその手を握って歩き出した。
 マンションに戻ってからも、暫く藤城家での余韻が抜けなかった。
 お父様も操子さんも素敵な人で、お屋敷も広くて綺麗で、
 青はやっぱりお坊ちゃまなのだと再認識する。
 いや、上流階級の人だというべきか。
 お坊ちゃまとか失言したら、どんな仕打ちを受けるかしれない。
 ランチを食べて時間を置いてケーキを食べることにした。
 上品な甘さのいちごのショートケーキは一口で私を虜にした。
 もったいないからゆっくり食べよう。
 横を向くと、口を開けろと命じらたので開けると、
 いちごが口の中に飛び込んできた。
 不意打ちだったが、慌てて飲み込むことはせずゆっくり咀嚼する。
(私だって学習してるのよ!)
 頬を真っ赤にして、彼を恨めしげににらみつけると、青は、真顔で口にした。
「いちごって、お前に似合うなと思って」
「よ、よくわからない」
 いきなりフォークで刺して、口に運んでくれるものだろうか。
「口移しのほうが良かったかもしれないが、芸がないだろ」
「青はいちご食べなくてよかったの。私ふた粒食べちゃった」
 生地の中にも、スライスされたいちごが入っているけど、
 上に載ってるいちごは特別だろう。
 少なくとも私はそうだ。
 彼が口元を緩めていたから、私も気にしなかった。
 



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