今日は青がいつもより早く会社に迎えに来た。
それは青の実家へと向かう為で、私は朝からそわそわして落ち着かなかった。
彼は一緒に暮らし始めてからも、実家のこととかは話してくれなかった。
もしや話したくない事情があるのかと内心思ったりしてたし、
こうして行ける機会が出来てすごくホッとしてる。
少し不安もあるんだけど、やはり愛する人の生まれた場所だ。
期待の方が強い。
青はどこか険しい顔でハンドルを握っている。
前面を真っ直ぐ睨みつけている彼。整いすぎた顔だから、より一層怖さがある。
「青、そんなに嫌なの?」
聞こうかどうか迷ったけれど、二人きりの空間がこんな重いのは、過ごしづらいし。
「別に」
怒っているのだろうか。声も何だか硬い。
「ねえ、青のお父様ってどんな方なの?」
ワクワクと自分の顔に書いてあるに違いない。
私は満面の笑みを浮かべ、首を傾げた。
うわ、青は笑顔なんて欠片も浮かべてないのに、私ってば。
「……会えば分かる」
会わせたくはないけどな。
「え、うん、そうよね、もうすぐ会えるんですもの。楽しみにしておくわ」
どんな人なのかな。青のお父さんということは50代後半もしくは、60代だ。
相当渋くて素敵な男性なんだろうな。青のお父さんだし。
あれ、お母様は……? いらっしゃらないのかしら。
一つ知るとまた一つ気になることが増えてしまう。
好奇心って、止まる事を知らないのね。
「沙矢、着いたぞ、起きろ」
青が外から助手席のドアを開けて、私を呼んでいる。
少しうたた寝していたみたい。
「……あ、ごめんなさい」
手を引かれ、私は車から降りる。怒っていないのかな。
車から降りる時手を差し伸べる青はいつもの彼だった。
「……あれ?」
驚き、目を瞠ってしまった。
白亜の豪邸と呼ぶべき建物が、前方に見える。
「ここから少し歩くぞ」
「ええ」
促され、歩き始める。噴水がある家なんて初めて見た。
闇色に照らし出された水。
青は懐かしげに目を細める素振りも見せずに、淡々と歩みを進める。
珍しく歩幅を合わせてくれない。大股でずかずか歩くから、
腕を引かれたままの私は、自然と引きずられる格好になってしまう。
握られた手には力がこもっている。
「……青、手痛いわ、それにもう少しゆっくり歩いてもらえると有り難いんだけど」
私の言葉に青ははっとしたのか、こちらの手を離して立ち止まった。
「……悪い、久しぶりで緊張しているのかもしれない」
苦笑し、青はこちらを見つめる。
「私の方が緊張してるのよ? あなたと違ってはじめて来るんだから」
クスっと笑い、青の手を自ら握った。
「そうだったな」
淡く微笑んで青が手を握り返してくる。
「行こう?」
「ああ」
そうしてまた歩き出した。玄関の扉の前に辿り着くと青は、呼び出しブザーを鳴らす。
いわゆる中に画面付きの電話があって訪問者の顔が映し出される仕組みだろう。
「……青です。ただいま、戻りました」
「青さま!お帰りなさいませ。今すぐに扉をお開けしますので」
使用人らしき女性が弾んだ声を上げた。
「うわ、ドラマみたい」
「そんなに理想的な家族じゃないよ」
「青……」
ますますワクワクしてきちゃったなんて言ったら怒るかしら?
青と二人開かれた扉の中へ入っていく。
「お帰りなさいませ、青お坊ちゃま」
「……別に帰ってきたわけじゃないから」
「先ほど戻りましたと仰られたのは青さまですよ?」
にっこり微笑む使用人の女性。初老という歳だろうがとても品がよさそうだった。
青、この人に敵わないわねと私は瞬時で見極めた。
と考え事をしていると、視線が私に向けられているのに気づいた。
「あなたが沙矢さまですね」
「あ、初めまして、水無月……藤城沙矢です」
「可愛らしい。青さまの奥様がこんなにもお若くてお美しい方だなんて」
「は、いえいえそんな!」
思わず照れてしまう。
「操子さん、沙矢はきれいでしょう?」
青が私の肩に手を置いている。割と子供っぽい所あるよね、青って。
「ええ、お二人はとてもお似合いですよ」
満足気に笑う青。操子さんと二人並んでいるのを見るとまるで祖母と孫のよう。
「先ほどから、翠さまと隆さまもお待ちですよ。さあ、ご案内しますので」
青の顔が一気に引き攣った。翠さんは青のお姉さんだ。
隆さまというのはもしや……。
玄関もやたら広くて大きかったが、廊下も長い。
呆然と壁に立てかけられた絵画を眺めたり、辺りを見回す。
青はどうにか平静を保とうとしているように見えた。
操子さんが扉をノックする。
「青さまが戻られました」
声をかけた後、操子さんはすぐに扉を開けた。
広い広い応接間。テーブルには二人の人物が座っているのが見える。
青は握っていた私の手を離し、前へと進み出た。
誰かが立ち上がりこちらに向かってくる。
ゆっくりと近づく足音。
「青、お久しぶりね!お帰りなさい」
ハートマークが語尾に飛んでいる。
と勢いよくその人が青に抱きついてきた。
青とは似てないけどやはり綺麗な人だ。栗色に染められた髪が明るい印象を醸し出す。
私は呆気に取られ、その場面を見つめていた。
「……ただいま、姉さん」
「さ、沙矢ちゃんは!?」
翠さんは、青の首を締めつけているのに気づいているのかどうか、
彼に抱きついたまま大声を上げた。
「お義姉さん、初めまして、沙矢です」
がばっと青から体を離し、翠さんがこちらに顔を向けた。
「お義姉さんだなんて、嬉しいわ、初めまして沙矢ちゃん。青の姉の翠です。
この前はお邪魔しちゃったみたいでごめんなさいね」
「あはは……いえいえお会いできて光栄です」
なんて答えれば良いのか困っちゃった。
「こちらこそ」
柔らかく微笑んで翠さんは今度は私を抱きしめた。
私より5cm位身長が高そう。やっぱり長身は家系なのね。
青が私の手を握ってきた。
「行くぞ」
まるで戦地へ赴くような顔で言わなくても。
私は青に腕を引かれ、テーブルの前にやって来た。
いくつだろうか。青によく似た男性がそこに座っている。
やたら渋く、優雅な印象だ。
すっとその人が立ち上がる。青が私を庇うみたいに目の前に立ちはだかった。
(な、何してるの、青)
(悪から守らなければならないからな)
(は?)
小声でひそひそ話す。その間にも渋い人は近づいてくる。
翠さんは隣の席に座って事態を見守っている。
「あ、あの初めまして、沙矢です。お義父様ですか?」
「やあ初めまして、青の父です。君が沙矢ちゃんかい」
私に手を差し出してくるお義父さん。青は私の手にその手が触れないよう、自分の手で遮っている。
「いやだねえ、初対面の息子の奥さんに握手しようとしているだけじゃないか。
それすら許してくれないのかい? 我が息子ながらあきれ果てた独占欲だね」
「青、止めて。握手ぐらい減るもんじゃないし」
「それだけで終れば俺だって止めないさ」
「何……言って……え?」
ぐいと手が引かれ、掌に口づけられた。
「お近づきの印に。青なんか止めて僕にしないか?
この屋敷がもれなく君のもの。家事なんかもしなくてもいいしね」
いきなり口説かれるなんて思わなかった。
「お、お義父様……?」
青は実の父を睨みつけている。
「息子の妻に何してるんだ、あんた」
「冗談も通じないのかな?ふふ、名前の通り青いね」
「あんたがつけたんだろうが!」
この親子関係……一体!?
「お父様、沙矢ちゃん困ってるわよ。青もむきにならないで座って、食事にしましょう」
「翠さん」
「ありがとうございます」
つい名前で呼んでしまった。
「ごめんね。君があんまり可愛いからついね」
クスっと笑うお義父様。青と同じ顔なのに印象がこんなにも違う。
テーブルに着くと食事が運ばれてきた。
運んできたのは操子さんだ。
「久々に弟に会えるし料理でも作ってあげようかと思って」
翠さんが全部作ったらしい。
彩りが鮮やかでとても美味しそう。
向かい側に座る青は、さっきまでの硬い表情はどこへやら。
すっかり普段と同じに戻っている。
「そういえば沙矢ちゃんは青とどこで出会ったの?」
興味津々の顔で翠さんが問いかけてくる。
「私の会社に何故か青がいたんです。パッと目が合った瞬間、
びりびりと電流が流れたみたいな感じになって」
嘘ではない。確かに目が合った瞬間、彼に心を奪われてしまったのだから。
「運命の出会いなのね」
「……沙矢」
青が苦笑している。
「平坦な道のりじゃなかったんですけど、どうにかこうにかここまで来れました」
だってまさかあの頃は青の実家に足を運ぶことがあるなんて思いもよらなかった。
「沙矢、これ以上喋るな。墓穴掘るぞ」
「あ」
青がチッと舌打ちした。分かってるわこれ以上は私も言えるわけないでしょ。
「青のどこが好き?」
「……はあ……その……」
恥ずかしくて口をもごもごさせてしまう。口に物は入っていない。
ちゃんと一度飲み込んでから喋っているのだ。作法というか当たり前のことだが。
「全部です」
「素直なのねえ」
翠さんは感心したのか、優しく微笑んで私を見つめている。
「青は沙矢さんのどこが好きなんだい?」
今度はお義父様が青に問うている。
「全部だ。決まっているだろう」
自信に満ちた笑み。嬉しくて頬が緩んでしまう。
「えと失礼なことかもしれないんですけど、お二人にお聞きしたいことがあるのですが?」
綺麗な食事風景。さすがお金持ちという雰囲気。
私もスープを啜る音を立てぬよう心がけた。
「何かしら?」
「何だい?」
「お二人はおいくつなんですか?」
いきなり年齢を聞くなんてどうかと思ったけどすごく気になった。
お二人とも年齢を感じさせないんだもの。
翠さんは青とそんなに変わらないように見える。
年子ってことはありえないだろうから、2、3歳違いかしら?
でも確か青と10程しか違わない息子さんがいるらしい。
お義父様は、めちゃくちゃ渋くて色気が漂っていて、年齢が分からない。
若作りというわけではないのだが、不思議な気品が歳を感じさせない。
お金持ちって皆こうなのかしら。
「あら、やっぱり気になっちゃった?」
うふふと翠さんは笑った。
「下手したら沙矢ちゃんのお母様とさほど変わらないかもね」
苦笑する翠さん。何ていえば良いのか。
「自分の歳なんて気にしたことなくてね」
「幾つに見える?」
試すような顔でお義父様は言った。
「年齢不詳ですよね」
「そうだねえ」
「あはは、沙矢ちゃん、お父様ノックダウンしてるわよ」
可愛い。翠さんがカラカラと鈴を転がすように笑う。
「親父は還暦過ぎたじゃないか」
「えー全然見えないんですけど!」
「図に乗るから止めろ、沙矢」
「うふ。お父様のことで驚くのはまだ早いわよ」
「翠、何か私がよからぬことをしたみたいじゃないか」
「あら自分でそう仰るなんて」
翠さんはあっさりと大変な事実を教えてくれた。
いや初対面なんですけどいきなり言ってしまって良いんですか!
お義母様はお義父様の教え子だったこと。
ただし学校のではない、家庭教師みたいな感じだ。
お義父様より5歳若かったというその人は、もう随分前に亡くなったという。
「紫さんは本当にいい女さ」
お義父様の瞳が情熱的に輝いた気がして、私は一瞬見惚れた。
青は何故かお父様を睨んでいた。
他意はないのよ。ただお義父様が優しい瞳をしたから。
だって過去形じゃなくてちゃんと現在形で言うなんて素敵だわ。
「沙矢、帰るぞ」
急に立ち上がった青が私のすぐ横に来ていた。
「まだ来たばかりじゃないか。ああ、もう今日は遅いし泊って行けばいい」
「俺も沙矢も仕事がある」
「そんな物休めば良いじゃないか」
「気軽に言うな」
「……あ、のそれじゃあ失礼します。ごちそうさまでした」
青が私の腕を強く引く。
翠さんは相変わらずねと小さく呟いている。
遠目にお義父様が寂しそうに笑ったのが見えた気がした。
「素っ気無さ過ぎじゃない?」
帰りの車中、私はそんな風に切り出した。
「いいんだ」
もしかしたら久しぶりで恥ずかしかったのかしら?
「ふふ」
「何だ?」
「お義父様もお義姉さんも素敵な人ね」
「……初対面だからなまだそう言えるんだろう」
青は遠い目をした。
「でも本当驚いたわ。あんなにお金持ちだったのね、青のお家」
「……まあ金に不自由したことはないが」
「青お坊ちゃま……」
ぷーっと吹き出した私に罪はない……と思う。
「沙矢」
横目でちらっと青がこちらを見る。
「今日は眠らせるつもりはないから」
「明日、仕事なんだけど?」
「そんなの休めば良いじゃないか」
もしもし、青? お義父様と同じこと言ってるわよ。
「青はどうするの?」
「休まなくても俺は平気だからな」
「……ずるい」
「どうせなら辞めたっていいんだぞ。無理に続けなくても、生活に苦労しているわけでもなし」
「子供できたら考える」
「じゃあすぐ考えなきゃならなくなるな」
ニヤリと青は笑う。
この分だと青の思うツボね。
私の望みでもあるから文句はないけどね。
と言うか二人きりでいられなくなっていいのかしら。
一緒に暮らし始めてやっと半年くらいなのに。
私は小さく笑った。
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