付き合いはじめて、一ヶ月。
 秘密裏の関係で、外でのデートも人目を避けていたが、
 自分の部屋に、彼を招き入れてしまった。
「先生、好きだ……」
 耳元でささやかれると心までとけそうになった。すらりと、長身の彼。
 9つも下の高校生とは思えぬ色香を惑わし、追いつめる。
 その声も姿も媚薬のようだった。
 魔性が宿った美貌だ。
「ず、ずるいわ……青は選択肢もくれないのね」
「そんなの必要ないだろ。イエス以外、先生に答えられるの? 」
 こちらを見透かしていて、言うのだからあくどい。
 子供のくせに大人を篭絡する術を心得ている。
 私が、弱いからいけないのだろうか?
 彼女は、震えが走る身体を意識した。
「……部屋に入れたのは先生。あなたを手に入れるまで俺は帰らない」
 先生の部屋に行きたいと言われて、受け入れたのは望海だったけれど。
「そんなの駄目」
黙れと言うふうに、唇が塞がれる。舌が絡み貪られる。
慣れた口づけに恐ろしさを感じる。将来が末恐ろしい。
 きっと、多くの女を泣かせるのだろう。
 そして、傷つけて、本当の愛に気づくのかもしれない。
 何となく予感があった。
 藤城青は、天性の魔性を秘めた少年ている。
 色香を放つ美貌は、大人になったら磨かれるのだろう。
「泣いた顔って余計そそられるよな」
 吐息混じりに、青が言う。
 望海は、降参の白旗をあげる。
 狭い部屋、後ずさった先はシングルベッド。
 座り込んだ時、強く抱きしめられた。
「いつまで泣くの。泣いたって俺のものになるのは決まってるのに」
 観念しなよ。押し倒されて、抗えない口づけをされる。
 青、と呼んだ声は、彼の唇に吸い込まれた。

「望海……」
「名前呼ばないで……藤城くん」
「青って呼ばないと酷いことするぜ」
 最後の歯止めをきかせたかったのかもしれない。
 逆効果に終わってしまったけれど。彼を本気にさせた。
 怒りに火をつけ、もう戻れない道を選択させた。
 クールな眼差しの中に光る欲情を覗き見てしまった。
「あなたは好きになったらいじめるタイプよね。生意気なんだから」
「かもな。嫌がってるように見えてそうじゃないんだから。
女ってなんだろうな」
 未経験の子供のくせに、分かった風に言っても何故か似合うのは、彼ゆえだ。
 耳たぶを食まれる。
 ふくらみを長い指が揉む。抗いきれない自分自身を憎んだ。
 望海は、教師としてのモラルより、自分の感情を優先した。
 (この子が……彼が好き)
 抗えないまま飲み込まれる。
 吐息をついた時荒々しいキスにまた支配された。
 声を殺す。

「っ……あああっ」
 最後の瞬間、甘い悲鳴を上げて崩れ落ちた。
 彼は、薄い膜越しに熱を吐き出す。望海の胎内へ。
 繋がっていた身体を解き、青が倒れ込んでくる。
 年齢差はあっても大人びた彼は、やはり馴れた風で、初めてとは思えなかった。
 シャワーをして、もう一度ベッドに横になってから彼とまどろむ。
「……本当に初めてなの? 」
「そうだよ。はじめての相手が望海でよかったけど、
 過去の男には嫉妬しそうだな。全部知ってるやつがいるなんて」
 青は、くすっ、と笑って望海を抱き寄せた。
 どこか、暗い陰を背負った微笑み。
 広い肩に腕を回し、抱きしめる。
「……付き合ったのはあなたが二人目よ。
 こうやって異性を触れ合うことなんて、もうないのかなって思ってた」
「よく言う」
 くっ、と笑う青の頬を指でつねる。
「望海は、モテそうなのに、本当はガード固いだろ。
 よく俺と付き合うことにしたなって」
 答えられず、頬に口づける。
 青に、落されたのだ。
 年下の教え子と、付き合い初めた時から、
 こうなる予感はしていたけれど。
 この日を一生悔いるだろう。そして、忘れられないだろう。
 望海は、すすり泣いた。

   初めて、セックスをした。
 深いキスと途中までいったことはあったけれど、
 これが、青の正真正銘の初体験だった。
 初体験となったのは、年上の女教師。
「望海……また会いたいか、俺と」
「泣きそうな声で聞かないでよ。やっぱりあなた大人じゃないわ」
 青は口の端を噛んだ。
 相手は同年代ではなく年上の女。
(彼女の言った通りだ。会いたいのは俺だ。
 でもかっこつけたいだろ)
「ん……いきなりっ……」  軽いキスを繰り返し、下腹部をまさぐる。
 未だ潤っているそこに、突き入れたい。
 深く包まれたいと思うけれど……歯止めが聞かなくなると己を戒める。
 固くなった頂に、舌を絡め吸う。
 大人の女の成熟した体は、危険だと思った。
「会いたいかだなんて、どうせまた学校で会うのに……」
 ぽつり、漏らされたつぶやきに虚をつかれた気がした。
 会ってはならなかった。この関係に陥ってはならなかった。
 でも、なかったことにしたくなくて、謝ったりはしない。
 どうしても、彼女が欲しかった。
 この先に破滅が待ち受けていようとも構わなかった。
「……そうだな」
 膨らみに手を這わせて下からすくうように揉む。
 耳にこびりつく喘ぎ声がたまらなかった。
 また、望海を求めて、暴れそうな自身をなだめ、ベッドから離れた。
 下着とジーンズを履きベルトを締める。
 わざとらしく音を響かせながら。
 学校側も不純異性交遊を推奨してはないと思うが、
 卒業を待たずに配られたそれを使う生徒がいるとは思わなかっただろう。
 進学校だ。
 露見したらただでは済まない秘密裏の情事。
 青より、望海の方が立場が危ういのは分かりきっていた。
 青は、忘れるために逃げることを選ぶかもしれない。
 咎めを受ける前に、消えるというずるさを選択するだろう。
「先生を傷つけるようなことはしないから。大丈夫。
 頼むから俺恋しさに泣くなよ」
「生意気……でも、うれしいわ。
 ありがとう、藤城くん……いえ、青」
 ちらり、見やればシーツをまとったままベッドの背もたれに身体を預けていた。
 上記した頬、潤んだ瞳。
 色づいた唇をもう一度奪いたい。
 シャツを羽織る。
 後ろは振り返らないことにした。
 背中を向けている彼女に気づくのが、苦々しくて見ることはできない。
 甘ささえ帯びた吐息は、また誘っているようで、頭を振るう。
 欲求を押さえつけて、青は部屋を出た。

 木製の真新しい校舎を望海は、歩いていた。
 心が軋む気がする。
 ため息が漏れそうになるのは、
 ある生徒との関係のせいだった。
 藤城青。藤城総合病院の子息。
 亡くなった母親譲りの美貌は、人をひきつけて離さない。
 特定の交際相手もおらず勉強だけに勤しんでいたと思われたが……。
 極上の美少年は、教科担当である望海と、恋に落ちた。
 一線を越えて以来、授業中、彼の視線を感じると身体が熱くなるようになった。
 それでも、平静を装うように努力していた。
 ここは学校、望海は教師。
 週に3度授業を受け持つだけの関係に過ぎない。
 接点が限られるからこそ、2人の関係は周りに知られることもなく続けられた。
 しばらくは。
「高階先生! 」
 勢いよくかけられた声に振り返ると、同僚の体育教師が、
 こちらに向かって歩いてきていた。
「伊達先生」
「最近変わられましたね。お綺麗になられた」
 唐突に言われ、首を傾げる。
個人的な感情を同僚の教師に……。
 表沙汰にならないだけで、教師同士の恋愛がないとは言わないが、
 青とのことがなくても、一切その手のことには興味がなかった。
「誰が聞いているかもわからない場所で不用意なことおっしゃらないで」
「……分かりました。
では下校時間後にお話があるのですが、お時間いただけますか? 」
「少しなら」
あの日以来放課後に、青と会うのは避けていた。
何となく学校で二人きりになるのが気まずくなったのだ。
この伊達穣(だて ゆたか)という体育教師は、以前から
意味深な視線を送ってくることがあった。
気のせいだと思いたかったが。
「よかった。では放課後に教員の駐車場までお願いします」
「……職員室ではできないお話なんです? 」
「さすがに校内で、しづらい話なので」
相手の押しに渋々ながらうなづいた。
死角になっていて見えずらい場所だから、こんな会話も許されたが……。
望海は、不快な気分を押さえられなかった。
まるで、1人になるのを見計らったかのようだ。
ふう、と今度こそ大きくため息をついた。 (あの子に会いたいわ)
「……これから飲みに行きませんか」
「無理です。お断りします」
断固突っぱねると残念そうに肩を落とした伊達に、悪いことをした気分になる。
望海は、自分の意にそわない事だから、断っただけなのに。
車へと誘導しようとするのを跳ね除け、運転席の伊達に向け言い放った。
「……あの噂は本当なのかな……いや、まさか」
「え……? 」
「あなたに限ってまさかそんなことなさいませんよね。
教師生命を脅かすような」
内心、ぎくり、とした。
校内での接触は、お互いに避けていた。誰にも知られるはずもない。
いや、こういう秘密に限ってどこから漏れるか分からないのが世の常だ。
望海は、首を横に振った。
「何のことだかさっぱり分かりません。
私はあなたにそのように言われるような
ことは何一つしておりません……伊達先生」
きっぱりと言い放ち助手席の扉を閉める。内心では怯えていた。
バレるはずのない嘘だと、この場は逃げ切ったけれど。
「先生……」
「せ……藤城くん、もうとっくに下校時間すぎてるわよ」
とぼとぼと、駐車場から校舎の方に戻っていた時、見慣れすぎた人影が立ちはだかった。
安堵してか、おどけたように微笑んでしまう。
いつの間にやら、彼にこんなに心を許していたなんて。
「高階先生、家まで送ってよ。
ちょっと頭痛がしてさ。教室で休んでたんだけど治らなくて」
嘘だとわかった。甘い瞳、柔らかな声。
(彼は教室で待っていたのかもしれない。
私が行かないことを知りつつ、それでも毎日待っているの。
それを聞くことはやめようと思った)
「……一生徒に特別扱いはできないわ」
「うわあ、見事なまでの自制心だね。
本当は何か俺に聞いて欲しいことがあるってたまらないって顔してるけど? 」
「な、ないわよ、そんなの」
「ふうん」
「頭痛があるなら、お迎えを呼べばいいじゃないの」
「学校に屋敷のやつを来させたくないんだよ」
 舌打ち混じりに彼は言った。
授業参観の日、観に来ていたのは、柔らかな物腰の秀麗な男性で、
彼が歳をとったらこうなるのではと思われる男性だった。
藤城総合病院の院長は、子供思いらしい。
息子の授業参観に自ら顔を見せる。
(お父様はおいくつなのかしらと、ふと疑問が湧いた。
年齢を感じさせない若々しさは周りを圧倒していた。
上に立つものの風格もあったし)
「でも、私が送っていくのはおかしいわよ……」
「へえ、怖いんだ……望海先生は俺がなにかするんじゃないかって」
背をかがませ、耳元でささやいて離れる。
恐ろしい早業だった。
「家までは送らなくていいよ。
200メートル手前くらいでいいかな」
 こちらを気遣ってくれているらしい。
「今日は家庭教師の先生来る日じゃなかったっけ? 」
「……来ないよ。体調悪いから断った。
 大体、俺に家庭教師なんて必要ないのに」
「そうね……優秀だものね」
「監視目的だと思う。
 屋敷にはハウスキーパーがいるけど、俺がいない間に帰るし」
「ご飯も一人で食べてるの」
「先生もだろ」
「そうだけど」
「本当は何かあったんだろ……
家庭教師はもう来ないし、少しくらい遅くなってもいいから」
 遠回りしていいからと、聞こえた気がした。
「……子供だからって、馬鹿にしてるの? 」 「そんなんじゃ……」
 危うくハンドル操作をミスしてしまいそうになる。
 心の動揺を表に出してはいけない。
「じゃあ、あなたのお家に出れる道を教えて。少しゆっくり帰ろうか」
「どうせなら、公園とかにとまってもいいぜ」
「変な事考えてないでしょうね」
「さあ……ね」
 制服姿の彼とカフェに寄るわけにもいかない。
 望海は、藤城家への道順をナビしてもらいながら、車を走らせた。
 もう、藤城家までは数百メートルの距離に来た所に児童公園があった。
 昼間だと子供が遊んでいそうだ。
 午後6時、夕暮れ時の風景。
 デートスポットではなさそうな場所で、いくらかほっ、とする。
 扉の鍵を開けると、青が降りた。
 降りるのを少し逡巡していた私は運転席側に、来た青に扉を開けられ連れ出された。
 しっかり手を握られている。
「……青」
「足元にお気をつけください、お嬢様? 」
 おどけて口にする青に、ぷっ、と笑った。
 伊達に言われた言葉を話しても良さそうな気がしてきた。
 少年っぽさと大人の男が同居する不思議な彼には。



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