俺の実家、藤城家に着き、俺と沙矢達母娘は、リビングでお茶を楽しんだ。
 その後、千沙さんは客室へ、俺と沙矢は、部屋で着替えることになった。
「自分でできるから大丈夫! 」
 着つけを手伝うと申し出たら断固として断られる。
 よこしまな気持ちは、かけらもなかったのだが、信用されてないらしい。
 ショックというより、少しおかしかった。
 言い張る沙矢の頬が真っ赤だったからだ。
 俺の部屋は広いので、お互いが見えない場所で着替えるのは容易だった。
「……青」
「どうかしたか? 」
 顔を合わせた時、沙矢は先程よりも頬の色を濃く染めていた。
「か、かっこいい。やっぱり和服も似合うのね」
「ありがとう……お前もすごく綺麗だよ」
 最後は耳元で可愛いと囁いたら、ぶるぶると頭を横に振った。
「セットしようか。それくらい手伝ってもいいだろう? 」
「うん! 」
 乱れた髪も儚い色気があるのだが、きちんとした席だ。
 まとめなければならない。
 櫛で梳いた髪は背に流したまま、洗面室に移動した。
 大きな鏡の前で、彼女の長い髪を高く結い上げる。
「青、翠お姉さまにしてあげたの? 」
「するわけないだろう」
 手馴れているので、そう感じたのか。
 姉とこの屋敷で過ごした記憶は小学校低学年で止まっている。
 一回りの歳の差もあったし、彼女は20歳で結婚したからだ。
 将来を嘱望されていた義兄と。
 それに、俺は世話を焼かれていた方だ……。
「じゃあ、誰に……あ、従姉妹の」 
「たまにしてやったかな」
 遠い昔すぎて記憶も色褪せてはいるが。
 4つ下の従姉妹、神崎愛莉にしてやったことがある。
「ありがとう」
「お前はどんな髪型でも似合うから、ずっと髪をいじってたいくらいだ」
「お世辞? 」
「上辺(うわべ)の言葉はお前には言わない」
 髪飾りをつけたので、後は化粧(メイク)だけだ。
「よく似合う」
「だから、褒めすぎよ」
 いちいち照れるところが可愛すぎる。
 こちらを上目遣いに見た沙矢は、涼やかな声音で言った。
「青、ちょっと待ってて」
「わかった」
 外出するときに薄化粧はしていたので、少し整えるくらいだろうが、
 最後の仕上げは自分でしたいのだ。
 猫可愛がりしてしまったのを反省した。
 一時的なもので、結局構い過ぎてしまうのだろうけれど。
 廊下で待っていると、化粧を終えた沙矢が姿を現した。
 自然で大人っぽい姿に仕上がっていて見惚れてしまう。
 食い入るように見つめていると、彼女は視線をうつむけた。
 化粧をしているからわからないが、真っ赤に染まっているに違いない。
 手を差し出すと、彼女も手を重ねてきた。
 小さな手。指先には約束の指輪が、眩く輝いている。
 着物に着替えた時に着けたのだ。
 手が熱いのは照れと羞恥からだ。
 手を繋いで二階の廊下を歩く。
 初めて着たわけではないのに、彼女はいちいち大げさに驚いている。
「早くここで暮らしたいか? 」
「マンションで暮らし始めたばかりだし、それはないわ。
 青も落ち着かないでしょう。
 あなたの誕生日か私の誕生日を過ぎた頃って決めたじゃない」
「そうだったな」
 横を向き俺と視線を合わせて話してくれるようになった。
 俺自身もそんな彼女を見れてとても嬉しかった。
 感慨にふけっていたのだが、螺旋階段を降りた所で、俺は目を疑った。
   玄関ホールを悠々と歩いてくる人物。
 沙矢は、一瞬驚いたようだったが、すぐ花が咲いたような笑顔になった。
 向こうは沙矢を見つけてぶんぶんと手を振っている。
「お姉さまが呼んでらっしゃるわ」
 沙矢は、着物の裾をさばいて姉のいる方向へまっしぐらに向かおうとした。
「沙矢」
「なあに」
「何かの見間違いだ。お前には幻が見えているんだ」
「青、疲れてるのね。昨日からいっぱい運転してくれてるし」
 気遣う素振りで背伸びして頭を撫でてくる。
 少々ずれていても気にならないくらい愛くるしい。
「いや……」
 沙矢の母は、用意された客室で待機しているが、
 いざ、結納の席で顔を合わせたら驚くだろう。
 結婚相手の姉が、テーブルにいることに。
「何ごちゃごちゃ言ってんのよ。
 沙矢ちゃん、かわいい。とっても綺麗ね」
「あ、ありがとうございます。
 お姉さまもお着物素敵です」
「あら、嬉しいわ。うふふ」
「……何故いる」
「大事な大事な弟の結納の場に駆けつけてあげたんじゃないの。
 感謝されても煙たがられる筋合いないわね」
 ドヤ顔で威張られても、呆れしか起こらない。
「姉であって母親ではないはずだが」
「もちろんよ! 私は青だけじゃなく沙矢ちゃんの姉の立場でもあるんだから」
「本当ですか。心強いです、翠お姉さま」
「よきにはからいなさい」
 大事な場面のはずが、ふざけすぎだ。
 それとも良い意味でガス抜きをしようとしているのか。
 手をつなぎ合っている翠と沙矢はお互いしか目に入っていないようだった。
「彼女のお母さんを驚かせるようなことはやめてくれよ」
「そんなことしないわよ……あら」
 タイミングいいのか悪いのか、沙矢の母が現れた。
「翠さん……ですね、水無月千沙と申します」
「お会いしたことありますよね? 」
 妙齢の女性二人は微笑み合い、世間話を始めた。
 歳が近いのと、顔を合わせたことがあるからか、二人はすぐに打ち解けたようだ。
「よかった。お母さんと、翠お姉さまは仲良くなれそうな気がしてたのよね」
「年齢も近いし、お互いの子供の年齢も近いだけじゃなく、
 ノリも似てるのか。いや、それは千沙さんに失礼か」
 苦笑いする俺に、沙矢はくすくすと笑った。
 操子さんが、少し離れた場所に立って俺に目線を送っている。
 気づいた沙矢が、頷いて二人に声をかけた。
 俺と沙矢が横に並び、翠と千沙さんが後から続いた。
 操子さんに案内され、辿り着いた部屋は、翠と義兄夫妻も結納の折に使った部屋だ。
 椅子の前に立って待っていた父に沙矢が、小さく頭を下げた。
 目元を和らげて、彼女を見る様子は将来の娘に対するもので、
 それ以上でもそれ以下でもない。
 俺は、赤ん坊の沙矢を取り上げた縁とは別に、認めてくれた父親に心で感謝した。
 彼女なら、気に入らない人間などいないだろう。
 外見だけでなく中身も綺麗なのだ。
「千沙さん、お久しぶり。
 まさか、こんな機会でまた会えるとは」
「院長先生もお変わりになりませんね」
 父と千沙さんは、懐かしそうに目を細めていた。
 全員が揃った所で、テーブルの席に着いた。
 既に婚約はしていて、これはお披露目の席という意味合いが大きい。
 既に、沙矢の実家で結納の品を交わし合っているので食事のみだ。
 計画的に進められたら、よかったのだが、仕方がない。
 少し急ぎすぎたのだ。
 その代わり、結婚式は完全に仕切られてしまう。
 披露宴も二次会もすべて父が取り仕切って会場も押さえるはずだ。
 今からため息が漏れそうだが、これも藤城を継ぐ者の宿命ともいうべきか。
 双方のの親同士で挨拶を交わし、滞り無く宴の席も進んだ。
 運転する者がいる関係上酒は供されなかったが、酒など必要なかったようだ。
 和やかに微笑み合っている。
「砌くんって、青くんに似てるんですか? 」
「んー、似てないこともないけど、青より可愛げがあるの。
 私の息子ですから」
 翠は千沙さん相手にバカ息子の自慢を始めていた。
「でも、青くんが可愛いから翠さんは今日この場にいらっしゃったんですよね」
 にこにこ邪気無く言う姿はさすが沙矢の母親だ。
「歳も離れてるし可愛くて仕方がなくて」
 怖気が走った俺は、沙矢の方に視線を向けた。
 彼女は父と話していたようだ。
「何言われた。下世話なこと言われてないだろうな? 」
「え、そんなこと聞かれてないわよ。子供は何人を考えているの? とか」
 沙矢はにこにこと微笑んでいる。
 結納の席にしては、行き過ぎた内容ではないか。
「お父様、沙矢に余計なこと言いましたね」
「沙矢ちゃんを取り上げたの私だし、その子も取り上げたいじゃないか。
 しかも、我が息子との子供だろ。こんな縁は滅多にない」
 確かにそうかもしれない。
「沙矢の子供は俺が取り上げる予定だ」
「……君はついているべきじゃないかな。
 不安な妻のそばにいてあげるのが夫の役目だ」
 何故こんなことで言い争っている。
 沙矢が、あわあわと取り乱し、着物の裾を掴んできた。
 こんな時だが、可愛すぎてどうにかなりそうだ。
「私も青についていてほしいわ」
「……わかった」
 恥じらいながらこちらを見上げてくる瞳に抗えるはずもなかった。
「要するにそれまで、ちゃんと仲良く頑張りなさいってこと」
 まとめた父に、二人で頷く。
「「はい」」
 翠と千沙さんは未だ話し込んでいるらしい。
 沙矢が、二人に声をかけると、千沙さんが意外な言葉を発した。
「申し訳ないんだけど、二人が無理じゃないなら送ってもらえないかしら」
「お母さん、帰るの? 」
 沙矢が、少しさみしそうな顔をした。
 結納という席で、両家の面々もいたし、ふたりきりで過ごせなかったが、
 マンションでは一緒に過ごせると思っていたから残念に思ったのだろう。
「うん。また今度、上京した時お邪魔するわ」
「分かりました。お送りします」
 横浜まで往復することになってしまったが、
 明日の朝送って行くよりよかったのかもしれない。
 それぞれ挨拶を交わし、結納は終わった。
「これで、正式に二人の婚約が整い皆にも認められた。
 頑張るんだよ、青、沙矢ちゃん」
 父の言葉に、頬をうっすら染めて、返事を返した沙矢の肩を抱いた。
 二人で集まってくれた人々に頭を下げる。 
 父は、心なしか満足気な顔で、場を辞した。
「沙矢ちゃん、また家(うち)にも遊びに来てね! 」 
 彼女の手をぶんぶんと振り回し、翠は口元に笑みをたたえた。 
「ありがとうございます、お姉さま。またお邪魔しますね! 」 
「何度聞いてもいい響きだわ、可愛い妹ができて幸せ」
 初対面から馴れ馴れしかったが、もう少し遠慮した態度は取れないのか。 
 紹介しにわざわざ姉夫婦の暮らす家を訪れたのが仇になった。
 沙矢が気後れする分、ぐいぐい迫る態度は逆にいいのだろうけれど。
 藤城家は、遠慮がない家だと改めて思った。
「お姉さま、今日はわざわざ愚弟の為にありがとうございました」
「くれぐれも沙矢ちゃんを泣かせるんじゃないわよ」
「アドバイス、ありがたく受け止めておきます」
 貼り付けた笑みを向けた俺に姉は胡乱げな眼差しを向けたが、全く気には止めない。
 これが俺達なりのコミュニケーションだ。
 沙矢は俺の作り笑顔に気づく節はない。
 翠は賑やかに帰っていった。
 千沙さんはリビングでくつろいでいてもらうことにして、
 俺と沙矢は部屋で、元々来ていた服装に着替えた。
 リビングで待っていた千沙さんと共に
 三人で車に乗り込んだ頃、午後三時を過ぎていた。
 帰ったらもう夕食の時間だが、昼に食べたもののこともある。
 夜は、軽く済ませることにした。
「お母さん、今日はありがとう」
「結婚式まで仲良くね」
「はい」
 二人で返事をし、水無月家まで送った千沙さんと別れた。
 高速で、帰る途中、ぽつりとつぶやきが聞こえた。
「気を利かせてくれたのかしら。
せっかく泊まってもらおうと思ったのに」
「そうだな」
 やはり、しょんぼりしている。
「翠お姉さまが送るの申し出てくれたみたいだけど断ったみたい。
 本当にお優しくて素敵な方ね」
「そんなに仲良くなったのか、あの二人」
「うん。お母さんもとっても嬉しそうだったわ」
 はしゃいで見せる姿が、いじらしくてたまらない。
 抱きしめたい衝動を堪え、家路を急いだ。
 



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