マンションに着いた頃には、日も暮れ夜が近づいてきていた。
   お互いにお疲れ様と労をねぎらい、荷物を部屋に片付ける。
 お昼に豪勢なものを食べたので、夜は軽くすませることにした。
 青は、運転を頑張ってくれたので、私のほうが疲労度は低い。
 リビングに彼を残し、手早く入浴の準備を整えた。
 お湯加減は、その日の体調にもよって適温が違うから、貯めないでおく。
 シャワーで済ませたい場合もあるだろうし。
「先にお風呂入ってね」
「お言葉に甘えさせてもらうかな」
 そう言って彼は、廊下の奥に消えた。
 料理ができた頃、未だ彼が現れないことを不思議に思い、嫌な想像をしてしまった。
「青、大丈夫!? 」
 スリッパの音ををぱたぱたと派手に響かせて走る。
 一回滑ったが、気にしない。
 急いでたどり着いた浴室の扉を開けたが、見渡しても誰もいなかった。
 立ち上る湯気はさっきまで彼がここにいたことを知らせてくれる。
 バスタブに、お湯が注がれている。
 お風呂を貯めていてくれていた彼の優しさにじーんとする。
 自動で止まるから敢えて知らせなかったのだ。
 ダイニングを通らなくても部屋に行けるから、顔を合わせないのも不思議ではない。
 5LDKだというのを再認識した。
 お風呂から上がったらダイニングに来ると思っていたから、
 寝室にいるのはない。
 消去法で、書斎だろうと思い、向かったら、扉の隙間から明かりが漏れていた。
 ノックをして、返事がなかったのでそうっと扉を開けて中に入る。
 パソコンデスクの前に座っていた青が頭を起こしこちらを振り向いた。
 座っていてさえ足が長いのが分かる。
 口元を押さえあくびをした彼は、よく見たら目元が潤んでいる。
「寝てた? 」
 あくびにも色気が漂ってるんですが。
「……あ、ああ。風呂から上がって、
 ちょっと書類仕事をしようとパソコンの電源を入れたんだが」
「寝落ちしちゃったのね」
「……そうみたいだな」
 何だか可愛くて、胸がきゅんとなった。
「風邪ひくわよ」
「お前が温めてくれれば大丈夫だ」
 座った状態で立っている私の腰に腕を回す。
顔を埋(うず)めて来たから、そっと頭に手を置いた。
 触り心地がいい。お風呂あがりのシャンプーの匂いさえセクシーだ。
「お風呂貯めてくれてありがとう。入ってくるわ。
 青、先に食べて」
「お前が一緒じゃなきゃ食べる気しないな」
「じゃあ、リビングで待ってて。冷めたら温めなおそう」
 中々離してくれない。
 ぽんぽんと頭を撫でたら、二度目だと笑われた。
「翠お姉さまのことを気づかなかったことにしようとした時ね」
 彼は、パソコンのシャットダウンをして立ち上がった。
 二人で廊下を歩いている時、注がれる意味深な眼差しにそわそわした。
 慌てて言葉を紡ぐ。
「結婚までの階段をまた一つ登ったね」
「そうだな」
「もう、離れられないわ」
「離してなんてやらないよ」 
 ぎゅっと手を握りしめられ、彼の言葉の深さを感じた。
 独占欲の強さは計り知れなくて、これがこの人なんだと思う。
「ええ」
 強い眼差しで見上げると、彼は、腰を屈めて私の顔を覗き込んだ。
 眼差しに吸い込まれそう。
「リビングで待っててね」
 いい置いて歩き始めた私の後ろから、彼がついてくる。
 足が長いから、歩幅が大きい。
「青はお風呂終わったでしょ? ついてこないでね」
 念のため釘を刺すと彼は面白おかしそうに笑った。
 何がしたかったのかしら。
 リビングの方へ向かう青を見送り私は浴室に向かった。
「遊ばれているのかしら……? 」
 頭を洗い、髪をまとめると体を洗い始める。
「……でも、いつかは私が青で遊ぶんだから」
 聞かれてないかぎり恥ずかしくはない。
 バスタブに浸かって、ふうと息をつくとついでにお湯を抜き掃除をした。
 着替え終わって、ダイニングに戻ると彼がテーブルの上に食事を並べていた。
 信じられないくらいのタイミングの良さだ。
「ありがとう」
「お前こそ、風呂掃除までしてくれたんだろう」
「ついでにしておけば後で面倒くさくならないでしょ」
 助け合いながら、暮らしていくってこういうことなんだ。
 整えられた食卓に向かい合って座る。
 両手を合わせて頂きますと声を揃えた。
「髪もちゃんと乾かせよ。俺のことには気がつくのに」
 風邪ひくとか彼に言えなかった。
 生乾きの髪にタオルで巻いてごまかしていたが、意識したら鼻がむずむずしてきた。
 くしゅんとくしゃみをしたら、ぷっと吹き出される。
「心配してくれてるの? 」
「当たり前だろ」
 手を洗い直し、食卓に座る。
 向かい合う彼の表情はすっかり真顔だ。
「お母さんのことだけど、やっぱり、気まずかったのかしら」
「子供がいるわけでもないし、まだ結婚もしてない俺達の所に、
 居づらかったんだ」
「私達は、実家で自由に過ごしたわよね……」
「居心地が良かったからな」
 悪びれない人だ。
 あの時、壁際まで私を追い詰めて体で拘束して逃げられなくした。
 彼から逃げるつもりなんてなかったから、結局思うがままに抱かれたのだけど。
「……うわあ」
「思い出し笑いする奴ってエロいんだろ」
「なんてこと言うの」
 彼がからかってくる。
 むうと頬を膨らませ、睨みながら、ぱくぱくと箸を進めた。
 私がエッチなのだとしたら、確実にこの優しくて意地悪な俺様のせいだ。
 染められてしまったことは事実だ。
 和やかな雰囲気だったものの昼間は緊張していて、今ようやく肩の力が抜けたんだ。
 リラックスして、私だけに見せてくれる素が嬉しい。
 仕事中も息をつく隙なんてないわけだし。
 食べ終わって、シンクに洗い物を運んだ彼に、後は私がすると伝えた。
 少しでもくつろいでもらいたい。
「後で肩をマッサージしてあげるね」
「悪いな」
「それくらしかできないもの」
 マッサージチェアより、私を頼ってとアピールしてみた。
「お待たせー」
 リビングで彼が座っている横に上がり、肩に手をかけた。
「誘惑してるのか」
「す、するわけないじゃない」
 以前、マッサージの流れで妖しい雰囲気になったことがある。
 今日は、肩を揉んで叩くだけだ。
 夢中で彼の肩を叩いていると、ぼそりと声が聞こえてきた。
「……すでに誘惑しているようなもんなんだよ」
「何か言った? 」
「その、でかい胸が当たってる」
「当たらないようにするわっ」
 意識して少し体を離したら、彼の体に手を回しづらくなる。
「マッサージチェアを使うからいいよ」
「ええー」
「本当はお前にされたいが、押し倒したくなるから、
 マッサージにならないんだよ」
「青がそういうこと考えるから悪いのよ」
「欲情させる沙矢が、悪い」
 彼はさっさとマッサージチェアのスイッチを入れて座った。
(させてないもの。青がエッチなの)
 口では勝てそうにないので、心のなかでつぶやいていた。
 寝室で、二人でベッドに横たわる。
 隣から聞こえた微かな音を耳が敏感にとらえた。
 照明を落とした部屋の中、天井に星々が映し出される。
 家庭用の投影装置で、実際のプラネタリウムのほうが迫力があるのだろうけど、
 二人で独占しているということに価値がある。
 本で見たような星達が、明るく映しだされ、宝石のように輝いていた。
「星空より近くに感じられるわ」
 私は、肩を抱かれるままに彼に頬を預けた。
 彼と触れ合い、星を見ているという状況にうっとりとしてしまう。
「夜景を見ながらお前を抱いたのは、越してきたばかりの頃だったな。
 あの時のこと意識しただろ? 」
「うっ……」
 ばれていた。この人に隠し事をするなんて無理なんだわ。
「明日、この光景の中愛あるエッチしようか」
 ためらわずに口にする。
 しかも真顔だから、たちが悪い。
 照明を落としていても、プラネタリウムの光のおかげで彼の表情は確かめられた。
「ごふっ……」
「じゃあ、愛あるセックスでどうだ? 」
 肌を重ねあなたの匂いを知ったのは、もう1年近く前だし、
 あやふやな関係だった頃から何度も抱かれてきた。
一人でする行為も、彼に導かれたしありとあらゆることを教えられている。
「……私はあなたと愛を確かめ合えるのなら、どんな言い方でもいいわ」
「恥じらう必要はない。
 求め合い、奪い合いたい心と体に罪はないだろう」
「そうね」
 彼じゃなきゃ嫌。青だから、どんな恥ずかしいことも受け入れられる。
「大好き……」
 ぎゅっと抱きついたら抱きしめ返される。
 いつの間にかプラネタリウムの光が消え真っ暗になっていた。
 身を寄せていると呼吸の音が重なりあうみたい。
 愛しあうと、どちらの音も壊れそうなほどに響くのね。
 おやすみのキスを頬に交わし合い、眠りについた。
 翌朝、カーテンを開けた彼がこちらを振り返っているのに気づき目を細める。
 太陽の光が眩しいのか、青が眩しいのかわからない。
 満面の笑みではなく、ささやかな微笑み。
 手を差し出している彼に誘われて、ベッドを降りる。
 瞼をこすりながら、とことこと歩いて行く。
「おはよう」
「おはよ……っ」
 ぐい、といきなり腰を引き寄せられ、唇を奪われた。
 ちゅ、ちゅと角度を変えながら繰り返されるキス。
 ソフトなくちづけでも息もできないほど長く続いた後濃厚なものに変わった。
 カーテンに映しだされているのは二人の陰影。
 朝の光の中、甘くて、情熱的なキスを重ねる。
「っ……あっ……ふ」
 吐息は乱れ、彼のパジャマの裾を掴んでいた。
 舌先で歯列をくすぐられ、ねっとりとした動きで舌を吸う。
 ぽたぽたと、首の舌を伝い落ちる雫は、すかさず舐め取られた。
 大きな手が胸元から腰までを撫で擦り再び胸に戻ってきた。
 簡単に固くなった頂きを指先に挟みながら、やんわりと揉まれる。
 眠る時は下着をつけていないため、簡単に体の変化も悟られる。
「あ、だめ、脱がして」
 胸元に顔を寄せようとしていた彼の頭を押しとどめてせがむ。
 唇にくわえられるのは、衣服を着ていない状態より、淫らな気がした。
「欲求を口にするのは、可愛いな。素直なのが一番だ」
 いささか乱暴にパジャマをはだけられ、彼は頂きに食らいついた。
 一気に力が抜け、腰元が震えてくる。
 力強い腕が支え、ベッドに組み敷かれた。
 歯を立てられ吸われる頂からは、ぽたぽたと唾液が溢れ、肌を汚している。
 揉まれ、形を変える膨らみ。腰が勝手に動いていた。
「……さて、続きは夜のお楽しみ」
 彼は、乱れたパジャマを整えてくれた。
 伸しかかっていた重みはすんなりと離れていく。
 恨めしげな顔をしていたらしい。くすっと笑う彼が見下ろしてくる。
「朝、暴いてやるのもいいだろうが、星空の下のベッドで、
 思う存分楽しむのもいいだろう」
 喉を鳴らした悪魔は私の耳元でささやいた。
「っ……つらいくせに」
「へえ。言うようになったじゃないか」
「あっ……っ」
 耳たぶを食んで、彼が体を起こす。
 夜を待ち遠しくさせる作戦だとしたら成功だわ。
 悔しいけれど、またもてあそばれた。

 平気なはずはないのに、私より一枚も二枚も上手の彼は、
 二人でおでかけしても、特に変わった様子は見せず普段通りだった。
 社会人として大人として、当然だが、何か、釈然としない。
 こっちは、不完全燃焼の熱が体にわだかまって辛いのに。
 車の中でも、普段通りキスと抱擁のスキンシップをした。
 欲情を焚きつけるような激しいものではなく、穏やかなふれあいだけれど。
 指先には、しっかりと約束の指輪(エンゲージリング)をはめている。
 手を繋ぐと、彼から伝わる肌の熱が、指輪に力を与えるような錯覚を覚える。
 おでかけをすることにしたのは、彼も一日家で過ごしたら、もたないからだ。
   完璧ではない不器用さがますます愛おしかった。




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